「ダフニスとクロエ」はラヴェルの組曲(特に第2楽章)が有名だが、曲を聴いて考えたのではなく、実は恥ずかしながら原作を初めて読んでいろいろ考えさせられた次第。(岩波文庫)

ざっとあらすじを書くと、高貴な装身具と共に捨て子とされ、なんと牝山羊がその乳で育てていた男の赤ん坊ダフニス、奇しくもその近所で2年後にまたも高貴な装身具と共に捨て子にされ、牝羊が乳を与えて育てていた女の子の赤ん坊クロエ。この2人がそれぞれ近所の山羊飼い・羊飼いに拾われ、それぞれ類まれな美少年・美少女に育ち、お互い自然に魅かれていき、幾多の困難を乗り越えながら最後はそれぞれ高貴な身分も明らかになって幸せに結ばれましたとさ、という話。

今から2千年近くも前!に書かれた予定調和的な恋愛小説なのに、色褪せた印象・退屈な印象を受けないことに驚かされる。山羊飼いの美少年、羊飼いの美少女という、現代のニッポンジンにはちょっと想像しにくい設定や、文中でたびたび出てくる神々との会話などから、小説というよりはある種の神話として読めるのかもしれない。登場してくる地名はギリシアに実在するものだし、盗賊や乱暴者、横恋慕するものや軍隊や男色家など、下世話で世俗的なシーンも多いが、全体としてどこかこの世の話では無いような雰囲気が漂う。

ギリシア神話自体が、下ネタも含めた結構下世話な話が多いということも考えれば、この話も、エロース、ニンフ、牧神パーンといった神々に祝福された2人を題材にした「神話を取り巻く物語」といったほうが少し正確なのかもしれない。

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とにかく最初から最後まで、徹底して甘美なまでに美しい話なのだ。

ぼくが感じた美しさというのは3つある。ひとつは、「恋愛」というものの定義にもなりそうな2人の姿。美男美女が唐突に出会って恋に落ちてすぐさま結ばれるという話ではない。幼い頃からの知り合い、恋という概念すら知らずに魅かれあった2人。何年もの間ほとんど毎日のように遭い、キスを交わし続け、時には裸で寄り添いながらも、いわゆる最後の一線は超えない。倫理観による歯止めなどではなく、相手を傷つけたくないという真心から。

2つめは、2人が当然のように敬い、機会があるごとに供え物も欠かさないという、ニンフと牧神パーンへの信仰心。誰かに教義を教えられて義務感やリクツで信仰しているのではない。ごく自然に、ほとんど本能として信仰している。神々のほうも彼らの期待に応え、たびたび訪れるピンチを救ってくれる。また、直接登場はしないものの、愛の神「エロース」によって選ばれ、祝福された2人ということになっており、エロースがまた臨機応変に2人を助けてくれる。

3つめ。取り巻く風景の描写がこれまた美しい。まるで地上の楽園のように、花や果物が溢れ、風は優しく、小鳥たちがさえずり、飼っている山羊や羊たちもまことに従順。毎日が美しい幸福に包まれている。ダフニスの養父、「山羊飼い」ラモーンも「田舎の貧乏人」という記述であるが、彼が管理している庭園は王宮風に手入れされ、奥行1スタディオン(180m)、幅4プレトロン(120m)もあり、ありとあらゆる果実の樹や花壇でいっぱいだ。

本能のままに生きても、常に自分よりも相手のことを大切にしたいと思う心。神と人とが共存して対話していた時代、ヒトのできることには限界があることを謙虚に受け止めて、真摯に神を敬う心。そして優しく美しい自然に囲まれた環境。

・・・三島由紀夫が「潮騒」を執筆するにあたってダフニスとクロエからインスパイアされたというのも、こういう3つの美しさに魅かれたからではないだろうか・・・?

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世俗的な定義で言えば、ダフニスの養父もクロエの養父も「貧乏人」であり、ラモーンに至っては「主人に仕える召使」という位置づけ。彼らが育てているダフニスとクロエは、(人身売買の対象になるという意味で)「奴隷」ということになるらしい。

現代の日本にはもちろん奴隷はいない。自ら「中産階級」と位置付けて安心している人たちが大半だ。溢れかえる性情報を普通のことと思い、神を信じないのはもちろんのこと、ヒト同士も疑い合い、庭も無い3LDKのマンションをローンで買って一生の大半を縛られることを普通と思う人たち。

いったいどちらが「奴隷」なんだろう・・・

もちろん、ぼくたちだけが貧しいわけではなく、貧しさが世界中に広がっているからこそ、ダフニスとクロエの物語はいつまで経っても色褪せないのだろうとしみじみ思った。

過ぎたるは猶及ばざるがごとし

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2月 252018

ぼくの会社は12末決算なので、2末が申告期限。やっと提出準備が整った。
そして、毎年思うことなのだが、税務って、複雑すぎてややこし過ぎるのではということ。

国民の義務だというのはわかる。ただ、義務というからには、「交通信号の赤は止まれ」と同じくらい、誰にでもわかりやすく、というのが基本じゃないんだろうか?

今回の提出分から、外国法人は提出書類が増えた。理由あってのことだとは思うが、たとえばその書類の記入欄に「法人税法第141条第1号に掲げる国内源泉所得に対する法人税額の計算」欄と、「法人税法第141条第1号に掲げる国内源泉所得に対する法人税額の計算」欄がある。

・・・「イとロの違い」を知ってる人間がいったい日本に何人いると思っているのか???(笑)

まあこれに限らず、「税理士」という職業が成立するくらい、税務は複雑だということだ。

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おそらく、頭も良くて、かつ、ヒマな人たちが、ありとあらゆるビジネスシーンを想像して、それら全てに対応すべく、微に入り細に亘ってルールを拡張していった結果がいまの税法なんだろう。その結果、複雑なルールを正しく理解して納税するには、資格を持った専門家が必要になってしまった。

とにかくここまでややこしくなると、税理士無しに申告するのも大変だし、申告された数字をチェックするほうも大変だろう。その結果、「税金を払う気マンマン」だった人すら、払う気がなくなるような気もする。

昔、ヨーロッパの教会が農民たちから税を取るために「十分の一税」というのがあったそうだ。全ての農作物の10%が神のものであるという起源によるものらしい。それが妥当なものだったかどうかはわからないが、とにかくわかりやすいことは間違いない。

日本でも、10%は大きすぎるとしても、たとえばすべての取引について、「取引額の1%を、受けたものが支払う」という「100分の1税」とかを導入してはどうだろう?

そのかわり、消費税も所得税も相続税も撤廃。お金が動くときだけ、お金を得たほうが1%を支払う。商売をやってる場合は売上の1%だし、給与をもらった場合でも家賃をもらった場合でもその1%が税金に回る。遺産を相続したら相続分の1%。わかりやすいことこの上ない。都度都度払ってもいいし、まとめてでもかまわない。子供に千円の小遣いを与えた時も、親が「10円は税金」と教えることで、子供のころから納税義務が身に付くし、税収の使途にも興味が向かうというものだ。

何万人という税理士が失職するだろうけども、日本全体の間接費が大きく削減されると考えれば彼らに転職してもらう価値は十分にあると思うのだが。

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税務のことばかり書いたが、ヒトの営みは、放っておくとどんどん複雑化し、先鋭化していくというのが人類の性(さが)なのかもしれない。どんなジャンルにでも「凝り性」の人というのはいるし、しかも「そのジャンルでひとりだけ」ではなく、「複数の人たちが競い合う」のが常だ。

知り合いに現代音楽を作曲する専門家がいるのだが、作曲家同士の作品発表を聴くと、これはもうほとんど「作曲家に聴かせるための曲」としか思えないような曲が集まる。

「60点取れればOK」ではなく、「俺は98点」「私は99点」「何を隠そうぼくは99.5点」「頑張って99.78点が出た」「99.889点」・・・コンマ以下の差なんて、普通の人にはわからないが、道を究めた人たちの間ではそれが重大な差異になるのだろう。オリンピックに集うアスリートたちも、そのコンマ以下の世界を競ってるのかもしれない。

頂点が高くなればなるほどすそ野が広がる。人類の文明はそうやって発達してきたのだろうと思うし、高みを目指す人たちがいなくなったら人類はいつか滅びてしまうのかもしれない。

しかし、くどいようだが、税務は高みを目指すようなものじゃないと思うのだ。。。

日比谷入江と江戸前島半島

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2月 112018

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(『江戸の川・東京の川』鈴木理生著より転載)

東京の人にとってはもしかしたら郷土史として子供の頃に知るような話なのかもしれないが、関西から移住してきたぼくにとっては、400年ほど前には東京都心が上図のような地形だったというのは結構新鮮な知見。

東京/江戸の古地図というのは、結構たくさん残ってるようで、古地図マニアという人も多いし、古地図に関する出版物も夥しい。なので、深入りしようと思えばいくらでも深入りできる世界のようなのだが、ちょっと面白いのは、徳川幕府開府より前の地図というのはほとんど残っていないこと。

「歴史」というのが「記録された事実」と考えるならば、大胆な言い方だが、江戸・東京の歴史というのはたかだか400年くらいといってもいいのではないか。

以前、まったく別の場所について似たような感想を抱いたことがあるのを思い出した。その場所というのはハワイ。ハワイ王国が成立するのは1815年にカメハメハ1世が全島統一に成功したことによるのだが、その時点では、「ハワイには文字が無かった」のだ。(外国語として持ち込まれた文字はあったはずだが)それが、統一直後から怒涛のように押し寄せてきた宣教師たちによってハワイ語のアルファベット表記が行われ、夥しい出版物が発行されて、ハワイ統一以前も含めたハワイの歴史が「書物」として残されて現代に至っている。要するに、ハワイの「歴史」はまだ200年くらいしかない。

話が逸れたが、わりと有名な「日比谷入江」ではあるものの、それを示している地図は、なんと1枚(別本慶長江戸図)しか現存していないのだ。それも途中で千切れてるし。あとは、さまざまな傍証によって、「日比谷入江があったのは確実」とされているのだそうだ。傍証とは、たとえば貝塚の分布とか、ボウリング調査とか色々あるようだが、大ざっぱには約6000年前の縄文海進(有楽町海進とも言うらしい)によって日比谷入江とか江戸前島の原型ができたらしい。当時は茗荷谷のあたりまで入江になっていたようだ。

6000年前から400年前まで、海面の後退もあって入江は縮小したが、さほど大きく変わったわけでもないように見える。江戸氏・葛西氏・豊島氏といった豪族が割拠していた時代も、当時の地形を変えるようなことはしなかったらしい。劇的な変化が訪れるのは家康・秀忠・家光の三代にわたって行われた『天下普請』によるもの。天下普請というと、江戸城の大型リニューアル工事が有名だが、神田山を掘削して平川の流路を変え、その土砂で日比谷入江を埋め立てるなど、後世に残る地形の大変化が僅か数十年の間に起きたのだ。某社のCMの「地図に残る仕事」どころではない、「地形を変える仕事」だ。

いまでも皇居の中に入ると(一般参観で入っただけだが)、江戸城の「高さ」を実感することができる。石垣を積んだことによる高さ、というだけでなく、「ああ、もともとここは台地だったのだ」とわかるような勾配が至るところにあるのだ。

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さらにその後の東京湾岸の変化もとても興味深いものだが、やはりぼくが魅かれるのは「地図が残る以前」の地形。江戸前島は、もともとは鎌倉円覚寺の所領であったとか、江戸郷の前島村では飢饉が続いて百姓がひとりもいなくなった、とかという記録もあるようだが、記録の少ない分、想像が入り込む余地のほうが大きい。ぼくの脳内では、江戸前島半島は土地は痩せているが砂州とか松のある、ある意味リゾート地っぽいイメージ。そして日比谷入江を隔てて江戸城のある側は海食崖で切り立ったイメージ。徳川幕府が鎖国などせず、「海の向こう」に目を向けていたら、もしかしたら、立地を生かした海洋王国になっていたかもしれない、などと。。。

On7というのは、女7人ということだとは思うが、メンバーのそれぞれが俳優座とか青年座などのさまざまな劇団に属しながら、それぞれの劇団では演じにくい演劇をやってみようと集まった野心的な演劇集団。縁あって1回目から観させていただいているのだが、これまでの3回は女優さんたちそれぞれがなんらかの役を演じるという、当然と言えば当然の演劇だった。

それが今回、「自分たち自身を演じる」という面白い試み。脚本も「ディバイジング」という手法で、あらかじめ渡された脚本ではなく、脚本家と演者が共同して、場合によってはアドホックに作り上げるというもの。「自分たち自身」といっても、もちろん自己紹介を演劇にするわけではない。On7のメンバー全員が30代の女性だという共通点を活かし、喪失・生・思い出などといったテーマを通じて同世代の女性を演じるというものだ。

観た印象。(想像だが)女性が観るのと男性が観るのでは、感想がまったく異なるのではないか。女性の場合は、基本は「共感」があるだろうから、高揚したり落ち込んだりという進行に沿って、観ているほうもジェットコースターのような気分を味わえるかもしれない。しかし男性が観ると、わりと冷静に色々考えさせられてしまうのだ。ちょっと責められているような気分になるかもしれない(笑)。深刻な場面も多いが、まるでぶっちゃけた女子会を衆目に晒しているような場面をラップで演出というくふうもあって飽きなかった。

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30代の自立した独身女性というのは、「もっとも選択肢が多く、もっともアクティブな」人たちではないだろうか。言い換えれば、「もっとも可処分所得が高いか、もっとも時間をふんだんに使える」人たち。

かなり昔の話だが、西武百貨店が伝統的な外商制度を廃止し、「Club-ON」という、購買金額によって優遇するという会員制度への完全移行を行った。それまで百貨店に最も利益貢献してくれているのは(お金持ちの)外商のお客様と思われていたが、実は外商客からは値引き要請が多かったり、何しろ外商なので百貨店の人件費も相当にかかっており、決して「よいお客様」とはいえなかったのだ。真にもっとも利益貢献度の高かったお客様というのは、30代・40代の独身女性だった!彼女たちは自ら店に足を運び、店員をさほど煩わせることもなく、さっさと高額商品を買っていくということがわかったのだ。

とにかく男性から見ると、そういう彼女たちは、まぶしく輝いて見える。単に「若くて綺麗」という10代20代には無い、ある程度人生経験も男性経験も積んだ上での美しさもある。魅力に満ちているのだ。

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でも、彼女たちがいつまでも30代独身でいられるわけではない。時間は容赦なく経過していく。出産限界年齢という残酷な単語が頭をよぎることもあるだろう。社会的には充分一人前で、彼女自身が責任を持っている人たちもいるから、あっさり仕事を放棄するなんてできない。彼氏を作ろうと思えば作れるだろうけど、ここまで来て「誰でもいい」という軽薄な選び方はしたくない。慎重に相手を選んで行ったら妻帯者しか残っていないかもしれない。同世代には子育てに没頭している人もいる。親の健康もそろそろ心配だ。

もっとも輝いていて、もっとも選択肢が多く、もっとも悩み多き世代。そしておそらくその結果、もっとも忙しい(気の休まらない)世代。

演劇を観る前、実は「かさぶた」というタイトルがピンと来なかった。かさぶたから連想されるイメージは、こびりついて離れない記憶、というものだろう。俗な言い方だけど、「男は別名保存、女は上書き保存」と言われるよう、過去の思い出に執着するのはどちらかというと男のほうで、女性は「さっさと忘れて次に行く」ものだと信じていただからだ。

それが、今回の劇を観て思ったのは、彼女たちは少しくらいは「上書き保存」、すなわち「忘れる」という努力をしないと、カラダじゅうがかさぶただらけになってしまうくらい忙しいのではないかということ。「眩しさにやられたことのある」世の男性諸氏は少しは反省も必要かも。

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『ひとりだということ』という自覚的なセリフでスタートし、『返して下さいと誰に頼めばいいのだろう』という弱音も吐きながら、『自分が選んだ道だから!』というセリフでのエンディング。30代女子、強い・・・

オーケストラ!(2009)

本とか映画とかドラマとか コメントは受け付けていません。
2月 072018

なんだか三谷幸喜のコメディ映画のタイトルみたいで、たしかに映画全体はコメディ仕立てのところもあるけども、このタイトルではちょっと可哀想過ぎる気がした映画。原題は「le concert」というフランス映画で、本作のクライマックスでもあり、メインテーマともいえる「コンサート」とチャイコフスキーのバイオリン協奏曲(コンツェルト)を両方示すいい名前なのに。

なんとなく「愛と哀しみのボレロ」をなぞっているようにも思えた。ボレロが、ナチスドイツによるユダヤ人迫害という、悲劇の背景になるテーマがあったように、本作ではソ連共産党によるユダヤ人迫害という背景テーマもある。また、30年の時を経て明らかになる親子関係というところも・・・

ストーリー自体は、あまりにも都合が良すぎるきらいはあるし、ちょっとドタバタが過ぎるようなところもあるが、最後の15分を観るために、最初の1時間45分は我慢する価値は十分にある。そして最後の15分だけは2回でも3回でも観る価値があると思った。

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ボリショイ交響楽団の天才指揮者とうたわれていた主人公アンドレイ・フィリポフ(アレクセイ・グシュコブ)。30年前、彼がオケの指揮中に共産党員に乗り込まれ、指揮を中断させられたばかりかタクトをへし折られたときの曲がチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。以来、天才指揮者はボリショイ劇場の清掃員にされてしまい、オケのメンバーも散りぢりに。さらに悲劇なのは、そのときソリストとしてフィリポフが抜擢した天才バイオリニストのレア。彼女はその後当局に逮捕されてシベリア送りとなり、そして・・・

とにかく、30年の時を経て、奇跡が起きる。30年前のオケが再結成され、パリのシャトレ座での公演が実現するのだ。ただ、ソリストはレアではない。フィリポフの強い要望で、フランスの若き天才バイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)が抜擢される。

ジャケもフィリポフのことは尊敬していたので共演自体は(すんなりではないが)実現するものの、ジャケはなぜ自分が抜擢されたのかは知らない。公演直前にフィリポフと食事をすることで、むしろ嫌悪感さえ抱いてしまう。そんな中で、とにかくコンサートが始まった。

オケのメンバーたちは30年のブランクがあるにも関わらず事前の練習などほとんどせず、本番まで一度も顔を出さないメンバーが大半。実際に曲がスタートしても、案の定?調子はずれの音が。招聘側のメンバーも「お願いだから神よ奇跡を起こしてくれ」とまで言い始める始末。

・・・ところが、奇跡が起きるのだ。ジャケの奏でる旋律が、オケの全員にとって決して忘れることのできない「あの音色」を彷彿させ、一気にオケは一体化して奇跡のようなハーモニーを奏で始めた!

ここからラストまでが(少なくともぼくにとっては)涙無しには聞いていられない15分となった。雪の降りしきる収容所で、楽器を持たずに演奏の練習をしているレアの映像がかぶさってくるシーンにも泣けるけど、なんといっても曲が始まってから終わるまでのジャケの表情の変化が素晴らし過ぎる。

最初は「こいつら大丈夫か?」と言わんばかりのクールな美人さんで始まった表情が、すぐに「なかなかやるじゃない」という表情に変わり、やがてオーケストラとのハーモニーを作るための必死の全力投球の表情になり、オケと一体となった恍惚の表情へ。そしてラストは自ら感動して号泣寸前の涙を浮かべ、心の底から嬉しそうな最高の笑顔でエンド。

特に全力投球のときの表情がたまらない。お父さん(この場合はフィリポフか)に必死で付いていこうとするけなげな女の子のようにも見えるし、卓越した技術者の表情にも見えるし。

チャイコフスキーのバイオリンコンチェルトも改めて好きになってしまったかも。

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メラニー・ロランのあまりの美人さに、後日、彼女の出演作をさがして「複製された男」という映画も観てみたが、大失敗。ちょっと似ている別人かと思った。これ以上失敗を重ねてイメージを壊したくないので、それ以後は探していない(笑)。

大成丸と明治丸

東京の海, 飛行機と鉄道と船 コメントは受け付けていません。
2月 042018

大成丸というのは、「海のロマンス(米窪太刀雄:著)」という本で知った名前で、明治の終わり頃に旧制東京高等商船学校の大型練習船として世界一周した帆船(米窪もそのときの実習生。のちの初代労働大臣米窪満亮のこと)。明治丸というのは、初代の灯台巡廻船として活躍した船で、現在は越中島の東京海洋大学のキャンパスに固定展示されている(見学も可能)。

それぞれ別々の経緯を経て知った名前だったが、先日、明治丸を見学する機会があり、併設されている明治丸記念館に大成丸の遺品が飾られていたことから、はからずも両者が(ぼくの中で)つながった。

実は大成丸は2018年の現在も存在しているが、現在の船は2014年に竣工した4代目。世界一周した初代は昭和20年、神戸港内で米軍の残存機雷に触雷して沈没、実習生31名が死亡した。記念館にあった遺品はこのとき引き揚げられたものだという。

米窪が乗船していた世界一周航海は1912~1913の1年半にかけて行われ、彼が乗船中に書いていた日記を、帰国後に「大成丸世界周遊記」として朝日新聞に連載、その後、1914年に単行本にまとめて出版されたのが「海のロマンス」。夏目漱石も序文を寄せており、「漱石が激賞」という記事も書評にあったが、実際読んでみると、たしかに褒めながらも「余計な事まで書き過ぎだろう」みたいな批判もあって面白い。

ちなみに海のロマンス、古書としては数千円の価格で取引されているが、ちょっと高いかなと思って近所の図書館経由で都立図書館から取り寄せてもらって読んだ。ところが、とうに著作権が切れていることから、google booksで「無料で」全文読むこともできるようだ。

大成丸は木造、4本マストのバーグ型帆船。船体は白く塗装され、優美な姿だったようなのだが、いかんせん、モノクロ写真しか残っていない。明治丸は3本マストのシップ型帆船で、白く塗装された美しい姿を今でも見ることができる。大成丸も同じくらいの大きさだし(大成丸:82m、明治丸:74m)、「こういう船で世界一周したのか」と想像が膨らんでいた。

・・・ところが。展示されてる明治丸を見る限り、どう見ても美しい木造帆船なのだが、実はこれは改造後の姿らしい。本当は「補助帆付汽船」という2本帆の鉄製汽船で、灯台巡廻船として稼働していた頃は塗装は黒かったらしい。それが商船学校に練習船として譲渡された際、甲板に穴をあけてマストを1本増やし、塗装も変えたとのこと。

練習船としての使命も終わり、陸上に固定されてからは長らく放置されて老朽化しており、内部の見学などは無理だったようだが、あるとき昭和天皇が「祖父の明治天皇も乗船したことのある明治丸を見てみたい」と希望され、その途端に補修予算が計上されて大修理が行われ、見学可能な状態になったとのこと。

東京海洋大学は、旧商船大学と旧水産大学が合併した大学。現在は隅田川の支流に面しているように見えるが、開校当時は豊洲や晴海はもちろん月島も存在せず、思い切り東京湾に面していたらしい。東京湾の変遷はそれはそれで面白いけど、また別の項で。

人類の歴史は戦争の歴史だったという話もあるし、つい200年前くらいまでは奴隷制度が公然と認められていた国もあったし、いまだに身分制度で縛られて奴隷のような扱いを受けている人々がいる国もある。

人間でなく動物が相手でも、狩猟が紳士のたしなみという人もいれば、闘牛を観て熱狂する人もいる。直接的には死を伴わないまでも、狭い檻の中に動物を閉じ込めて見世物にすることは公然と推奨されている。

突き詰めて行けば、人間という生物が、他の生物を喰って生きて行かざるを得ない生物なのだから、食物連鎖という観点からも弱肉強食にもとづく残虐行為というのはやむを得ないともいえるのかもしれない。

否が応でもぼくたちはそういう「業(ごう)」を背負って生まれて来たのだから、毛皮のコートを着て捕鯨反対と言ってみたり、微生物や植物や昆虫を殺すことには何のためらいもない人たちが「動物愛護」を自慢することが滑稽に思えたりもする。

でも、ぼく自身は鯨肉も食べれば、害虫は駆除する人間だけども、敢えて「捕鯨反対や動物愛護と言っている人たち」の味方はしたいと思う。

当たり前の話だが、人間の「業」を素直に、100%、完全に認めてしまっては、社会というのもが成立しなくなる。どこかで「ここから先はダメ」という線引き(具体的には法律)で縛ることで、本能のままの殺傷行為を未然に防ぎ、社会に永続性が生まれることになる。「捕鯨反対や動物愛護」にどの程度の意味があるのかはわからないが、少なくとも「ここから先はダメ」という、理性にもとづく線引きのひとつだとは思うから。

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しかし、ここで話題にしたいのは、そういう「業」に根差した残虐性のことではない。残虐行為に快感を覚える人、そこまでいかなくても残虐行為が平気な人というのがこの世に結構いるのではないかということだ。

この世は競争社会だ。「序列」「順位づけ」の世界。受験やスポーツ競技などわかりやすいものから、ライバル企業に勝とうと考えている企業、限られたポストを争っている会社員、仲間の中で「いいね」の獲得数を自慢したい人、クラスで人気を獲得しようと狙っている子供、PTAの集まりで一番綺麗だと言われたいお母さん、お金持ちと言われたいお父さん、とにかくこの世は競争で満ちている。

そういう競争社会では、「自ら努力して」序列の上に行こうという人が大半だとは思うが(思いたいが)、なかには「ライバルを妨害して」序列の上に行こうという人が出てくる。

マウンティング女子という言葉がいっとき流行ったが、マウンティングをするのは女子に限った話ではないだろう。さらに言えば比較広告の類だってマウンティングといえなくもない。でも、「ライバルへの妨害」は、もしかしたらまだ競争の範囲かもしれない。極端な話、ライバル同士がお互いにマウンティングし合えば対等ともいえるから。醜い争いには違いないけど。

残虐性という言葉が想起されるのは、ライバルですら無い、序列の下の人を馬鹿にし、虐め、貶めることで、自らの歪んだ快感を満足させようという行為だ。さらにそこに「大義名分」が付加されると残虐行為には歯止めがなくなる。

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『インディオの破壊についての簡潔な報告』という岩波文庫がある。薄い本なのですぐに読了できそうだが、全てのページが想像を絶する残虐行為に満ちていて、1ページ読むのに相当な気力が要る。スペインという(当時の)超大国・文明国から乗り込んで来た数十人の男たちによって、大量殺人・大量強姦・大量略奪が容赦なく繰り返され、暴力行為のみで温和な国1つを滅亡させてしまったという記録だ。戦争では無いから銃で撃って一撃で殺したりもしない。残酷度を競うレジャーのようにえげつない暴力と殺戮と強姦が繰り返されたのだ。母国スペインの繁栄のためにという大義名分に裏打ちされて。

『インディオの・・』は16世紀の、想像を絶する実話のようだが、20世紀のナチスによる大量殺人や、(実話だとすれば)南京大虐殺、ソ連共産党による弾圧なども「人類はここまで残酷になれるのか」という証拠かもしれない。今世紀に入ってからもISのニュースなどを仄聞すると、規模は違えど同様の「大義名分に名を借りた残虐行為」が繰り返されているのかもしれない。

しかし、21世紀の日本、民度もずいぶん高くなったニッポンではさすがにその種の行為は無いはず。

・・と思っていたら、意外なところで、その疑似体験をしてしまったのだ。具体名は伏せるが、ソシャゲ(ソーシャルゲーム)の世界。たいていのゲームプレイヤーはライバルとの対戦を楽しみ、そこにはある意味スポーツにも似た爽快さがあるのだが、一部の歪んだユーザは「弱い相手に粘着して限りなく叩きのめす」ということに快感を覚えるようだ。相手が降参と表明していようが、ゲームを始めたばかりの新人だろうがお構いなし。そして自分の行為を「(自分の属する)グループが大量得点して序列を上げるため」という大義名分をかざして正当化する。

「大義名分さえあれば、思う存分残虐行為を働いても平気な人がいる」のはなぜだろう?
「おおかたの人は、たとえ大義名分があっても、残虐行為を働かない」のはなぜだろう?

子供時代のしつけの差?人生経験の差?あるいは遺伝子が違う?ぼくにとっての永遠のテーマのひとつかもしれない。

いわゆるボリウッド系の騒々しいインド映画とはまったく違う、ヨーロッパ映画のようなテイストのインド映画。英語の原題は「The Lunchbox」。監督はリテーシュ・バトラー 主演:イルファーン・カーン。

驚異的な正確さを誇る、インドのお弁当配達システム「ダッバーワーラー」。600万個に1個くらいしか誤配が起きないらしいのだが、たまたま起きてしまった誤配から始まるせつない物語。勤続35年、そろそろ早期退職を考えている壮年のサージャンのもとに、自分にほとんど関心をもたなくなった夫に不満を持つイラの作ったお弁当が届いてしまう。イラは30歳くらいの想定か。

「無関心」というのはタチが悪い。「こんなマズイ弁当を作るな!」などといって喧嘩をしている間(そんなシーンは無いが)は、夫婦関係はギクシャクすることはあっても冷えることはない。しかしイラの夫は「無関心」なのだ。これはいけない。表面上は喧嘩はないかもしれないが、夫婦関係の土台の部分を壊していく。

夫に不満を持つ妻というのは、日本にもインドにも無数にいることだろう。しかし、たいていの人は与えられた環境から抜け出すことの面倒さも知っていて、積極的に現状を変えようとまで思う人は少ない。そんな中、イラは数少ない、「恋愛に積極的な」性格なのだと思う。そして、彼女が幸福な人生を歩むには、夫も恋愛に積極的でなくてはバランスが取れないのだ。

それでもイラは、弁当をいつも食べ残してしまう夫のために、弁当にくふうをこらしていた。(インドの女性の仕事のかなりの部分は弁当作りに割かれているのだろうか)

ところがそんなある日、完食され、からっぽになった弁当箱が戻ってくる。やっと気持ちが通じたのかと喜ぶイラ。・・・・・しかし、完食してくれたのは、600万分の1の確率で誤配された先のサージャンだったのだ。

物語の始まりが「完食」という点で、すでにイラからサージャンへの好意の下ごしらえができている。誤配の上に食べ残されたら身もフタも無かったはずだ。とにかく、この誤配の完食をきっかけに、弁当箱を通信手段とした奇妙な文通が始まることになる。どちらかというと、イラが発信し、サージャンが返信するという、イラのほうが積極的なパターン。

最初は「面白い人」くらいに思っていたサージャンに、イラは徐々に魅かれていくようになる。「私たちは実際に遭うべきだ」と提案を持ちかけるイラ。彼女はやはり積極的なようだ。

そんなある日、イラは夫の脱ぎ捨てた服への移り香から夫の浮気を疑ってしまう。夫が彼女に無関心なだけで、朝から晩まで仕事で疲れているのなら、無関心だけを理由に他の男に走るのは、人としての道に反するかもしれない。しかし「夫への義理立てはもう不要」と思える根拠もできたのだ。

ただ、イラは少しズルイと思う。彼女のような積極的な性格であれば、普通は、まず夫を問いただすのではないか。しかし彼女は敢えて訊こうとしない。「浮気が確定するのが怖いから」とサージャンに書き送っているが、ぼくはそうではないと思う。「実は浮気ではなかった」場合が怖いのだ。浮気でなかった場合、サージャンへの思いはかなりうしろめたいものになってしまう。敢えて訊かずに、「夫もすでに浮気している」と思い込むことで、彼女は自分を鼓舞しているような気がしてならない。

いっぽう、サージャンのほうは、イラとの恋愛を喜びながらも控えめだ。それでも同僚に、妻に先立たれていることを同情されたとき、「でも恋人はいるよ」と、つい言ってしまうサージャン。嬉しかったのだろう。しかしイラから「一度遭おう」と提案されて、朝から気合を入れて準備しながらも、自分の老いた容姿に改めて気づき、約束の店に入って彼女の姿を認めながらも、声をかける勇気が出なかったサージャン。大変にせつない。

結局、サージャンはイラのことを諦めるという決断をし、一度はイラのために撤回していた早期退職をやはり実行することにして職場を去り(イラが子供を連れて職場まで訪ねてきたのはまさにその直後だ)、隠居先のナーシクという町に移住する決意を固める。

ところが、最後が有名なシーン。一度はナーシクに行ったサージャンが、やはり思い直してムンバイの元いた家に戻ってくるのだ。戻ってくるだけではない。なんとダッバーワーラー(弁当配達人)たちと一緒に弁当の返却ルートまで辿ろうとしている積極さ!

その頃、イラのほうもある決意を固めていた。既婚者を示す装身具を売り払い、サージャンとの楽しい会話で出てきたブータンを目指そうというのだ。もちろんサージャンがどこにいるのかは知らない。そもそもブータンにいるのかどうかもわからない。しかしサージャンから教えてもらった、「ブータンに行けば、間違った列車に乗っても正しい目的地に着く」という言葉が彼女を支えているようだ。

映画はここで終わる。イラがブータンに出発するよりも前に、サージャンがイラの家に辿りつけたのかどうか、その後2人がどうなったかは観客の想像にお任せ、ということだろう。私はサージャンに感情移入しながら見ていたので、2人は無事に出会えて、幸せな第2の人生を送ったと信じたい。

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後日調べた話。

サージャンが最後にダッバーワーラー達と行動を共にしていた時、彼らはみんなで聖トゥカラームと聖ドゥニャノバーを讃える歌を歌っていた。この2人の聖人はヒンドゥー教(ヴィシュヌ教)では有名な人たちのようで、トゥカラーム(Tukaram)とドゥニャノバー(デャーネーシュワル:Dnyaneshwar)はwikipediaもあって、どうやらそれぞれ、「結婚などという世俗的な幸福を超越した幸福。孤独な求道者ではなく、高い次元の愛」を説いていたようだ。

と、いうことは・・・サージャンとイラは、泥沼の不倫などとは無関係の、美しい愛で結びつく、ということではないだろうか。期待し過ぎか。

4月 162016

作品解説は不要と思う。英語読み?でヘッダガブラーとしても知られているようだ。
だいぶ以前に読んでぼんやりと記憶に残ってた作品で、縁あって田野聖子さん主演の俳優座の公演を観に行ったこともあり、聖子さんヘッダの鮮烈な姿を思い浮かべながら再度読み返してみた。

大雑把にいうと、登場人物は4人。美しいヘッダ。彼女が妥協して結婚した相手、学者のテスマン。テスマンの、学界でのライバルでもあり、昔ヘッダに想いを寄せていたレーヴボルグ。そしてレーヴボルグを献身的に愛しているテーア。しかしテーアには夫もいるという設定。とにかくそれぞれのキャラが激しく立っている。もちろんヘッダ以外は「ヘッダとの対峙」があってこそ初めて生きるのだが。

レーヴボルグとテーアの愛の絆ともいえる、彼の新作の原稿が偶然ヘッダの手元に転がり込んでくる。原稿を失くして絶望している2人を前にしながらそれを返してやろうとしないどころか密かに焼き捨ててしまい、レーヴボルグには「美しい死」を勧めてピストルまで貸すヘッダ。
表面的にとらえれば「悪魔のような女」以外の何物でもないだろう。実際、ノルウェーでの初演時には、「こんな化け物のような女がこの世にいるはずがない」などと散々な悪評だったらしい。

しかし、単に残酷な女という意味ではなく、ヘッダのような女性、ヘッダに近い女性というのは少ないながらも結構、この世にいるのではないか。いやも う少し正確に言うならば「ヘッダのような女性だった時期」があった女性は結構いるのではなかろうか。
大前提として、とても美しい。プライドが高く決して媚びない。行動が衝動的。全ての男は自分に媚びることはあっても、逆らったりするようなことは決してないと思い込んでいる女性。

また、ぼくの数少ない経験で断定を許してもらえば、この手の女性は「楽しい思い付き」や「イタズラ」が大好きなのだ。あらかじめ計算しての行動ではないので、その結果相手が具体的にどのくらい困るのか、影響はどのくらいあるのかなど考えもしない。「たぶん楽しいと思った」とか「ちょっと困った顔をみてみたい」という単純な動機が、ときに深刻な被害を招くこともあるからタチが悪い。

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見方によれば、そういう女性はとても純真だとも言えるので、可愛い女性なのかもしれない。気位の高い可愛いネコがそのまま人間になったようなものだ。包容力の極めて高い男であれば、こういった女性を「掌のなかで飼うように楽しむ」余裕もあるだろう。作品中で言えば、ブラック判事がその立ち位置か。

また、さらに大げさに考えれば、ヘッダはもはや「ヒト」ではなく「女神」であると考えることもできる。ヒトではないのだから、社会のルールという、人間界のくだらない規則には縛られない。信じられないくらいの僥倖をもたらしてくれることもあれば、残酷なまでの犠牲を強いられることもある。自分の全てを投げ出してでも彼女をミューズとして崇めたいという男には「信仰」の対象にもなりやすいだろう。

いずれにせよ、「2人で共に歩んで人生を作っていきたい」という、テスマンのような普通の男には不向きであることは間違いない。

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しかし、ヒトは老いるのだ。ミューズと崇められた女性がいつまでもその美を保っていくのは難しい。若いころには「可愛いイタズラ」と許してもらえたことが「非常識」と非難されることになる。本人もそれに気づき、これまで考えもしなかった「妥協」を考えるようになる。ヘッダとテスマンの結婚もまさにヘッダによる妥協の産物だったのだろう。

ただ、ある意味、テスマンがヘッダのことを「崇めていた」おかげで、ヘッダも中途半端なミューズであり続けていた。「もう自分は昔の自分ではあり続けられない」と自覚するほど生活が変わったわけではなく、かといって昔のような遊びもしにくい。そんな毎日が退屈すぎてどうしようもないと思っていたところに、あの原稿が転がり込んできたのだ。退屈な毎日の中に突然訪れた至上のハプニング。最高のイタズラを仕掛ける機会だ。レーヴボルグは彼女の思惑通りに「死」を選んだ。

・・・・・ところが事態は彼女が想像もしていない方向に進んで行ってしまう。学者としての見識はあるとはいえ、平凡で格下と思っていたテスマンが、これまた彼女から見れば平凡にしか見えないテーアと高尚な学術的な議論で意気投合しているではないか!ヘッダのことは綺麗なだけの幼稚な飾り物でもあるかのように扱って無関心になる。「下品な浮気がしたいんだったらさあどうぞ。興味ないから。」と言わんばかり。彼女の人生が変わった瞬間だ。

プライドの高い彼女は、衝動的に、ミューズのまま死を選ぶという悲劇になってしまうのだが、ぼくは彼女が死んだとき、実はまだ処女ではなかったのかと疑っている。。

アドラーと禅

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4月 112016

われながら、タイトルがちょっと壮大過ぎるとは思うけれど、なんとなく気になったことがあったので書き留めてみようかと思った。思想全体の比較というような大仰なものではなくて、似ているところがあるのかな、と思ったまで。

ちょっとだけ素人解説すると、アドラーという人は、ヨーロッパではフロイト、ユングと並ぶ三大心理学者とされており、最近日本でも岸見一郎氏の「嫌われる勇気」「幸福になる勇気」がベストセラーになったこともあって、ちょっと知られるようになった。アドラー心理学は「思想」ともいえるものを持っているため、「それはサイエンスではない。宗教だ」と嫌う人もいるようだが、思想を持つが故のとても実践的な考え方が、ぼくにはすごく受け入れやすかった。

禅については、聞いたことが無いという人はいないだろうが、日本での禅というのは中国の宋の時代に移入されたもので、やや観念主義的で虚無思想的なイメージもあるが、達磨大師が伝えた時代や、少し下って唐の時代の頃の禅というのはもう少し柔軟なものでもあったようだ。

実は大学で禅を研究している友人がいて、禅問答を理解するには口語を深く理解する必要があるという動機で中国語まで堪能になってしまった男なのだが、彼が先日TVで禅について語っているのを観ながら、なんとなくアドラーを彷彿してしまった、というのがこの文章を書いているきっかけ。
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アドラー心理学の用語で「自己受容」と「自己肯定」という、一見すると違いがわかりにくいが、まったく意味の違う言葉がある。大雑把にいうと、自己肯定というのは、何も反省が無い状態の自分をそのまま認めてしまうこと。何か失敗があっても「本当の私はもっとできる人間なんだ、違う人間なんだ」と自分をだまして心を軽くしてしまうこと。それに対して自己受容というのは少し残酷で、「できない自分、我ながら恥ずかしい自分を認める」ということで、自己受容を行なえて初めて、勇気を出して自分を変えて行ける。(らしい)。

いっぽう、禅の基本的な考え方は「積極的に外から情報を取り入れ、勉強して悟りを開くことで仏になる」のではなく、「仏性は本来自分の中にある。内側にある余計なものを取り去るだけで仏になれる」ということ。(らしい)。

で、おそらく「なんだ、取り去るだけでいいのか。そうか俺はそもそも仏だったんだ」と満足してしまうのがアドラーでいうところの自己肯定。禅の用語だと野狐禅ともいうらしい。そうでなく、自分がどれだけ余計な衣をつけていたのかを認識し、もはや肉体の一部にまでなりかけていた衣を血を流しながら1枚1枚はがしていくのが自己受容のステップということなのではないか。

「衣」をアドラー的に表現すると、「他者の目(他人からどう見えるか)」「向上心という名の優越コンプレックス」「逃避の言い訳としての劣等コンプレックス」なんかが相当するのだろう。

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もう1つ、似てるのかなと思ったのが、アドラー心理学のカウンセラーのアプローチと、禅問答における師の返答。アドラーのカウンセラーに相談しても、カウンセラーは決して「貴方はこうすべきです」とは言わない。(らしい)。
なにしろアドラー心理学は「個人心理学」と言われるように、万人共通の答があるわけではない。人によって、身に着けている衣はまったく違うし、衣を捨て去った後に見えてくる自分も個々それぞれだ。なので、カウンセラーは、アドラーの考え方を伝えながらクライアントに寄り添って「一緒に考える」、岸見一郎氏の言葉でいえば、「馬を水場に連れて行く」ことはできるが、答えを出し、水を飲むかどうかは完全にクライアント次第。(らしい)。

禅問答でも、師のほうは答えがわかっているのなら、もうちょっと明確に答えてあげればいいじゃないかというものばかりだ。
「如何なるか是れ祖師西来意(禅の本質は何ですか)」「麻三斤(着物1着の布)」みたいな。要するに、答を教えてもらっては意味が無い、自ら納得して「ああ、そうか」と気づかないといけない。ということなのだろう。

僅か一時間ほどの番組だったが、ぼくにとっては少し刺激的だったかもしれない。

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