ビショップ博物館

ハワイに行った際には必ずといってよいほど立ち寄るのがこの博物館。設立されたのは1889年だが、当時は別の場所にあったようで、現在の地にオープンしたのは1898年。それでも実に100年以上の歴史を持っている。

正式な名称はBernice Pauahi Bishop Museumという。設立したのはCharles Reed Bishopという白人だが、彼の妻がハワイの王族 Bernice Pauahi王女で、亡くなった妻を偲んで設立したというのが命名の由来。

ハワイの風土は西欧からの影響に対してあまり相性が良くなかったらしく、ハワイ王朝の王族たちは一部の例外を除いて皆驚くほど短命だった。(政権が短命という意味ではなく、文字通りの短命)。王家につながる人々が続々と亡くなっていく中、相続される財産は、不謹慎な書き方を許してもらうならばまるでLOTOのキャリーオーバーのように膨れ上がり、バーニス王女が最終的に相続した財産はハワイ全土の3分の1にも相当する量になっていたという。そんなバーニス自身も夫に先立ち、1884年に亡くなってしまう。

1884年と言えばハワイ王朝も末期。白人資産家たちがあの手この手で王家の力をそぎ取り、ハワイを実質的な植民地化しようと蠢動していた時期。夫リチャードは妻の残した超莫大な財産を背景に、王家へのつながりをもとにハワイアンの支持も獲得、そしてそもそも白人であるということから、財閥とも組んで、一躍ハワイ最大の実力者に上り詰め・・・たりはしなかったのだ。

日々行われる政治闘争には背を向け、莫大な財産はハワイ人子弟に高等教育を施すためのカメハメハ・スクールやプナホウ・スクール(どちらも現在でも名門校)の設立や、First Hawaiian Bankの設立、そして王家の財宝を大切に後世に残すとともに教育にも役立てるべく、妻の遺志をも汲んで博物館を設立するなど、最後のロイヤルファミリーの一員としての義務を全うしていったのだった。ハワイ王朝滅亡後も財閥と組むのをよしとせずにカリフォルニアに帰ってしまい、リチャード自身の没後は、遺言で遺骨はハワイに戻され、愛妻バーニスの隣に葬られたのだという。

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そんな上質の設立経緯を持つ博物館が素晴らしくないわけはないのだが、外観や内装もまた素晴らしい。100年以上の歴史を持つハワイアンホールは2009年に内部が改装されたものの、ハワイの火山岩による外装はそのままで、ハワイの青空に実によくマッチする。内装は全面豪華なコアウッドというのもそのまま。建築当時はさほど希少な樹木とはいえなかったのかもしれないが、現在同じものを作るとすると、これだけで気が遠くなるような費用になるはずだ。

肝心の展示品については、自然史博物館的な側面も持っているため、もっぱら地元の子供たちのための宇宙開発の歴史とか恐竜博といった類の、ニッポンジンから見ると「上野の博物館の勝ち」みたいな企画展も多いが、常設展示と、時折開催されるハワイの文化歴史に関する企画展は、それぞれさすがビショップ博物館とでもいうべきもの。ハワイのみならず環太平洋での作品や出土品が集結している。

あと、展示品とは違うのだが、個人的にとても気に入っているというか、気になっているのが、前庭や中庭に漂うなんともいえない空気。(これは言葉で書くのが難しい)。優しいような、張り詰めたような、とにかく1日中でもそこにいたいと思える不思議な空気が漂っている。いったいあれは何なのか・・?

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そして普段ぼくが何よりお世話になっているのが、「Bishop Museum Press」謹製の膨大な数の出版物。ハワイの歴史や文化に関する参考書の多くは、ここの出版物か、あるいはそれらを出典として書かれていたりするのだ。古くは19世紀末から数十年くらいかけて出された「Memoirs of Berinice Pauahi Bishop Museum of Polynesian Ethnology and Natural History」シリーズ。全12巻で各巻がまたいくつかの部数にわかれる膨大なもの。(多くのreprintも出されている。神話に関するFornander Collectionはvol.4~vol.6)また、現在でも延々と続いているのが「Bishop Museum Bulletins」のシリーズ。これまた300冊くらい出されている・・

・・と、このあたりは書き始めるときりがないのだが、あと、さすがアメリカの博物館ともいうべきは、Webで閲覧できる資料の膨大さ。「Ethnology Database」が公開されていてハワイ古来の楽器の写真と使い方、さらに音色まで!とか、ああ、やはり書ききれない。