東洋陶磁美術館 ★

ぼくが大学生だった頃に開館した、東洋陶磁専門の美術館(大阪中之島)。

学生の頃はわりと足繁く通って随分と目の肥やしにさせていただいていたのだが、就職と同時にだんだん疎遠になってここ10年くらいは訪問していなかった。久しぶりに訪問すると、李秉昌(イ・ビョンチャン)コレクションが独立して3階に部屋を持ったりしていたが、基本は開館当初と変わらぬ配置で懐かしさも蘇ってきた。

世の中に美しいものはたくさんあるし、何を美しいと思うかはもちろん人によって違うとは思うが、少なくともぼくにとっては1つの美の基準というか、「美しさというのは本来こういうことなのか」と、つい大げさな感想を抱いてしまうような作品が多いのだ。

白磁の作品は「凜」という語感がまさにぴったりくる印象で見るものを緊張させてくれるし、青磁の名品の数々は、その柔らかさから、見ていると吸い込まれてしまうような気になってしまう。粉引の作品群からは「陶器のある楽しい生活」という想像が膨らむ。

ぼくは普段プラスチックのマウスやキーボードで仕事しているわけだが、『仕事の道具』としては便利には違いないものの、いかにも安っぽいし緊張感が無い。書き間違えればいくらでも書き直せる。墨をすり、白磁の筆筒から筆を取り出し、原則として書き直しのできない文章を書いていた、いにしえの文人達の頃とは、文明は発達しても文化のレベルは相当に下がっているのかもしれない。

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陶磁器の鑑賞には照明の具合が非常に重要な要素であるらしく、国宝の飛青磁などには工夫を凝らした柔らかい光があたっている。解説をそのまま転記すると、『古来、青磁を見るには、秋の晴れた日の午前10時ごろ、北向きの部屋で障子1枚へだてたほどの日の光で』という言い伝え?を忠実に再現したということらしい。

最近、仕事の関係で、(光の)拡散板を扱う会社とお付き合いがあるのだが、さまざまなタイプの拡散板を駆使することで、とがった眩しい光でも、自在に柔らかい光に変換できるらしい。それは照射角度や拡散角度で表現される極めて物理的な世界の話なのだが、陶磁器基準で「鉄砂をもっとも際立たせる拡散照明」「白磁の緊張感を最大限に引き出す拡散照明」というような、文科系的なアプローチがあってもいいのではないかとも思うのだ。