新型コロナについて思うこと(情報操作)

(今日は4月3日)

先日、新型コロナについて「何か変だぞ」と思ったことを2つ立て続けに書いたけれど、考えてみればぼくですら考え至る程度のことを、政府がわかっていないとは思えない。というか、わかっている人はそこらじゅうにゴロゴロいると考えるべきだろう。

それなのに、「具体的な予防方法」を説かず、「外出自粛」みたいな、単に感染機会を減らすことしか呼びかけないのは何故なのか。予防方法を繰り返し報道すれば良いのに、感染者数とか海外の衝撃映像ばかりが繰り返し報道されるのは何故なのか。

そのヒントが、総理が布マスクを全戸配布すると宣言した際の「国民に安心感を与えたい」という言葉に集約されているような気がする。(「予防できる」ではなく、「安心感を与える」という点がポイント)

マスクに一定の効果があることは明らかなのに、「マスク無意味論」が3月頃まではずっと幅を利かせていた。WHOがそれに口添えしたかのように「マスク無意味」と言ったのも追い風になったのだろう。
それが「全戸配布」が決まった途端、あんな小さなガーゼマスクですら「一定の意味がある」という有識者?が続出し始めた。

・・・ということは?

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振り返ってみれば、マスク無意味論が幅を利かせていたときですら、マスクの買い占めや高値転売が後を絶たなかった。これが「マスク必須」などと当時から報道されていたら、買い占め騒動は収拾がつかなくなったのではなかろうか。逆に、「入手できなかった人たち」が過激な暴動に走ったかもしれない。

『国民に安心を与える』という言葉は本当に曲者だと思う。

オリパラ延期もその1つだろう。これはマクロ編でも書いたが、どう考えても来年7月までに世界中のコロナが終息しているという確証なんか無いのに、「いつになるかわかりません、状況次第です」では言われたほうは不安だらけなので、嘘とわかっていても「2021年7月開催決定」と言ってくれたほうが安心なのだろう。

外出自粛という、直接的な予防とはほど遠い、単に「感染『機会』を少し減らす」だけの要請が繰り返されるのも「安心感」レトリックの1つかもしれない。
飲食業やエンタメ業の人にとっては「外出自粛イコール生活不安」以外の何者でもないが、全世代全職業を対象にした要請となると、「幼児にでもわかる要請、過剰なインパクトのある要請」であるべきと考えたのだろう。

1月に90万人もの中国人旅行者が遊んでいた日本で、感染が広がらなかったわけがない。現に、屋形船クラスターは1月中旬の出来事だったはずだ。本日現在で「発覚している」感染者数は3000人程度だが、不顕性感染者は1ケタ違っていてもおかしくない。しかし誰もそんなことを大きな声で報道したりしない。

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真実を伝えることが、イコール安心感を与えることではない。東日本大震災のとき、多くの人が津波に呑みこまれたが、死体や遺体が映りこんでいる映像がまったく流れなかったのと似てはいまいか。

「真実をまじめに正確に伝えても、わかってもらえない、地味なのでそもそも報道してもらえない」
「衝撃的な真実を正面から伝えるとパニックが起きる」

・・・こんなことを前提に要請や報道がなされているから、TVを観ていてイライラすることが多いのかもしれない。

日本人の民度は高くなったらしい。1964の東京五輪の頃は、ゴミのポイ捨てや歩きたばこ、立小便までが日常の風景だったらしい。それが今や、新幹線から降りるときや、スタジアムでの観戦から帰るときには必ずゴミを持ち帰るような国民になったのだから。

しかし、どんな集団でも必ず1%~3%は「例外」がいるように、国民全体の民度がどれだけ上がっても、一定数はトイレットペーパーの買い占めに走る。無料配布される布マスクを売ろうとする輩も出るだろう。

そんな1%の連中が「ロックダウン」みたいなインパクトの強い言葉を耳にすると、一体どれほどの買い占めや転売に走るか知れたものでは無い。

なので、行政のほうも、1億2千万人のコミュニティを「安心させる」ための施策しか打てないのだろう。悲しい真実だ。