白ナイル

アラン・ムアヘッド著、篠田一士訳。青ナイルと対になっている本で、池澤夏樹が著書の中でたびたび褒めるので気になって読んでみた。

ときは19世紀後半、世界にはまだ知られざる地がたくさんあり、いわゆる『秘境への探検隊』が活躍した時代。

現代では地球上、ほぼどこに行ってもビールやコーラが飲めるし、GoogleEarthという想像を絶するアプリケーションによって地球のどこでもお茶の間から窺い知ることができるが、たった100年ちょっと前では、「ナイル川の水源は一体どこなのか」というのが地理学上の大問題だった。

この本は、バートン、スピーク、ベイカー夫妻、リヴィングストン、スタンレイ、そしてゴードン将軍という、それぞれアフリカ探検史上に名を残した人々の、ナイル水源にまつわる物語である。

当時のアフリカ大陸はその謎ゆえに暗黒大陸と呼ばれていたが、もちろん昔から多くの人々が住んでいた。彼らにとっては暗黒でもなんでもない、日常生活の場だったはずなのだが、決して楽園では無かった。なぜなら、トルコやエジプトなどの奴隷商人の格好の餌食になっていたからだ。

当時はまだ奴隷制度というのが違法とはされていなかった。また、名目上は違法ということになっていても、事実上は官僚が率先して奴隷の斡旋などを行っていたらしい。

どの探検家も、奴隷制度と向き合わずに探検を進めることなどできなかった。あるものは黙認し、あるものは厳しく対峙しながら、みな一様に重い鉛の玉を飲み込んで探検に向かっていったのだ。純粋な好奇心だけで、天真爛漫に探検できた人間などいなかった。

また、探検に成功してヨーロッパに帰国した彼らを待ち受けていたのも、決して歓迎だけではない。探検結果に疑義を抱いて声高に批判したり探検家のゴシップを探して回る人々は多く、また、探検家同士の妬みや嫉みなども半端ではなかったようだ。

それでも、彼らは一度ならずアフリカに向かうのだ。1週間や2週間の旅行では無い。数年間、アフリカで暮らしながら、文字通り生死をかけた探検だ。事実、探検の都度、多くの同行者が亡くなっている。もちろん、行くに当たっての表向きの理由はちゃんとあるのだが、どう考えても「断ろうと思えば断れる」のではないかというのが正直な感想だ。

彼らをそこまで惹きつけてやまなかったアフリカとは何だろうか?という問いかけがこの本の主題のような気がする。彼らがアフリカに行ったというよりは、アフリカが彼らを呼んだのだ。

かつてアラビアのロレンスが、アラブを嫌い、愛し、蔑み、尊敬し、自分の中のアラブを持て余してしまって、帰国してからも精神が母国になじまなかったのと同様のことがアフ
リカ探検家たちにも起きていたのではないだろうか。