誰か最悪のケースを想定しているのか

今日、緊急事態宣言がまた延長され、首相とか尾見さんの記者会見をやっていた。

首相が目先の事しか喋らないのは今に始まったことではないので適当に聞き流していたが、尾見さんが出口戦略について語っているのが気になった。(これまでのように感染者数ではなく)「医療の逼迫度合いで判断」ということらしい。

しかし、それを出口と言っていいのか?「規制を少し緩める指標」には違いないが、それは出口とは言わないのではないだろうか?

言葉のアヤの問題では無いし、揚げ足を取りたいわけでもない。本当の「出口」を考えている人がいないんじゃないかと、一瞬恐ろしくなったのだ。


日本には四季がある。暑い夏が続いてもやがて涼しくなり寒い冬が来る。そして冬が明ければ暖かい春になる。先祖代々四季の変化の中で暮らして来たぼくたちには、苦境もいつかは脱することができるという意味での「明けない夜は無い」「やまない雨は無い」という言葉がとても刺さりやすい。

もしかすると、「コロナだっていつかは終わる」と全員が信じ込んでいるのではないだろうか?

コロナの撲滅はできなくても、「ワクチンなどで全員がそれなりに抗体を持ち」「重症者にもそれなりに有効な治療薬が普及して」「インフルエンザと同じような扱いになれば」それが「終わりのかたち」として暗黙の了解になっている気がする。

・・でも、そうならなかったら?

デルタやラムダだけでなく、次々とタチの悪い変異種が発生し、既存の抗体や治療薬が無意味になったら?

もちろん、ぼくたちは不断の努力で「次のワクチン」「次の治療薬」を考え続けるだろう。
しかし、それが1回や2回ならともかく、10回も20回も続いたらどうなるか?資金だって枯渇する。

・・・答は『感染源を断つ』しかない。
感染者を徹底的に封じ込めて、二次三次感染を遮断するしかないのではないか。

そして、その方法に唯一成功しているように見える国が中国だ。
私権の制限など意に介さず、感染の疑いがあれば徹底的に封じ込める。

今のぼくたちは「そこまでしなくてももっと穏便に解決できるはずだ」と信じている。しかし、現在累計で1万5千人くらいの死亡者が、医療崩壊によって数十倍になったとしても同じ気持ちでいられるだろうか?


人々は「身を守るため」、さらに言えば「死なないために」自然と強い政策、強いリーダーを求めてしまうのではないだろうか?

私権が制限されてもいいから、感染対策ルールの違反者を厳罰をもって取り締まることができるような国を。また、感染者を徹底的にいぶり出すことができるような国を。

要するに、専制国家を人々が望むようになるのではないだろうか?

そして、外からの力。

アフガン撤退でアメリカはもはや「世界の警察」として機能しなくなったということを露呈し始めた。

中国以外のすべての国家がコロナで弱体化しているという好機を中国が優しく見過ごすだろうか?

いま、日本が(中国では無くても)外から攻撃されてマトモに戦えるとは到底思えない。そんな外憂に対応するためにも「有事に備えることができる強い国家が必要」と考える政治家がいくらでも出て来るのではないか?

人々が望み、政府が目論んで「専制国家」が誕生する。ヒトラーのドイツ第三帝国の誕生と何ら変わりない。

最悪の出口だし、今大きな声でこんなことを言っても「誇大妄想」と一蹴されて終わりだろうが、こういう最悪のケースを想定して動いている政治家が一人もいない、とは信じたくない・・・。

対症療法

オリンピックが閉会式を迎えた。とりあえず無事に終わって何よりだった。不祥事続きの上層部を見捨てたりせず、無責任な批判を繰り返す外野に負けずに頑張ったスタッフやボランティアのかたたちの努力の賜物に違いない。

「コロナ禍で開催するというのか!」とボロクソに批判を浴びながらもやり切ったことは菅政権の成果だと思うのだが、当の菅さん自身が「開催しちゃってごめんなさい」という陰気な表情しか見せないからこちらも微妙な気持ちになってしまう。

とにかく問題はコロナだ。NIKKEIのTVCM、「コロナ後の世界はどうなるのか」「そもそもコロナはいつ終わるのか」というのは、今や万人が気にしていることだろう。

NIKKEIを読めば答がわかるというわけでも無いだろうが、「ちゃんと考えてみろ」と言われたような気がしてこれを書いている。

コロナに関しては、菅総理も小池知事も、もはやTV画面に顔が映っただけで不快感が襲ってくるほど、来る日も来る日もその場しのぎのテキトーなことしか言わない。

・・・と憤るのは簡単だが、コロナウイルスが目に見えず、なおかつしょっちゅう厄介な変異を起こしたりして誰も正確に未来を見通せないのだから、リーダーシップを取るべき人たちは対症療法に明け暮れざるを得ない。すべてが後手後手になるのは当然だ。

誰がトップに立っていたとしても結局は似たような事態になったに違いない。

そしてもっと酷い対症療法に明け暮れて、しかもそれに満足しきっているのが野党とマスコミだ。リーダーが色々とブレているのをいいことに、そのブレに合わせて批判だけを繰り返すという、ブレの連成振動を起こしている。自分たちで具体的な解決策などまるで考えずに、政権が何もしなければ「医療崩壊」、何かしたら「経済崩壊」と、まったく無責任に不安だけを煽りまくるからタチが悪い。それぞれオリンピックは存分に楽しんでいたようだが。

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某国のように私権を制限することに何の躊躇も無い国であれば効果的な対策が打てる、という人がいる。日本でもくふう次第て有事立法的に似たようなことができるはずだという人もいる。

しかしそれは対症療法の効率を上げているだけだし、何よりも「平時のときの私権制限」につながりかねないという巨大な副作用がある。

では結局状況を静観(達観?)して政府や都には何も期待せず、個人的に対策を図るしかないのだろうか?感染しないための手段と、収入を継続させるための手段の両方を。

・・まずはそれが一番なのだとは思う。ただ、いっぽうで、「政府や都」といった大きな資金を持った大きな組織には、もっとやるべきことがあったと思うのだ。対症療法ではなく、感染そのものを直接予防する仕組みの開発だ。

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ファイザーやモデルナのワクチンは、予防効果もある程度あるが、それよりも「重症化しにくい」というフェイルソフト的な位置づけのようだ。最近名前を聞くようになった抗体カクテル療法なども「罹患しても治療できる」という意味であればフェイルセーフ的なものだろう。

ぼくが期待してやまないのは「フェイルしない」、要するに「感染しない」仕組みのことだ。

ウイルスそのものが根絶できればそれに越したことは無い。ただ、鳥インフル発生時に鶏を何百万羽も皆殺しにするようなやりかたを人間に行ってしまったのでは本末転倒だ。

なので、ウイルスそのものはとりあえず存在は許すしか無いが、それを人間の体内に取り込まないようにする直接的な仕組みづくりにもっと力を入れるべきではないだろうか?もしも誰もウイルスを取り込まないようになれば、結果としてウイルスも宿主を失って滅びるしかないはずだ。

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いろんな憶測やデマが飛び交っている中、唯一、信じて良い真実と思われるのが「コロナウイルスは飛沫感染しかしない」ということだ。逆にこれは1年以上も前からわかっていたことでもある。

日本では「飛沫」には厚労省が決めている定義があって、5μm以上の大きさのものを指すらしい。昨年の春、コロナの流行り初めにはこの手の議論が各所で見られて、「布マスクは隙間数十μmもあって無力」という話もあった。

逆に、ウイルスの大きさは0.1μm程度なのだから、「PM2.5対応(隙間が2.5μm)程度の不織布マスクも無力」と偉そうに言い切っている「有識者」もいた。

でも、常識的に考えれば「大きな飛沫ほど(ウイルスが大量に含まれているので)感染力が高く、小さな飛沫ほど感染力は低い。水分がまったくないむき出しのウイルスが空気中に飛散していてもほとんど感染しない。」という単純なことなのではないだろうか?

当時はウイルスを毒ガス扱いしたり、皮膚感染するかのような報道も多かったので日々ゲンナリしていたが、さすがに今では「飛沫感染しかしない」「気管支に入り込まない限り大丈夫」というのは常識になってきたと思う。

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だから、マスクの効果は絶大だ。飛沫自体も結構防いでくれる上、何よりも重要なのはマスクをしていれば汚染された指で鼻や口を直接触らなくて済むという効果だ。

布マスクよりも不織布、呼吸困難をいとわなければN95マスク、そしてマスクと顔の間の隙間もできる限り無くしたほうが効果的だとは思うが、「鼻や口を指から守る」ということに限れば普通の布マスクでも充分だ。

「手洗いうがい」は効果がゼロとは思わないが、限りなくナンセンスだ。四六時中手洗いうがいをしていられる特殊な人には効果があるだろうが、1日中外で働いて、家に帰ってからおもむろに手洗いうがいをする頃には充分感染し終わっている。

それよりも最大の問題は「飲食のときにはマスクをはずさざるを得ない」という1点だと思う。さらにそれが会食であれば「ノーマスクでの飛沫飛ばし合い」になる可能性が非常に高まってしまう。

「飲食を妨げないフェイスシールド」というものがいくつか市販されているが、実際に着用して飲食している人を見たことが無い。ぼく自身も「あまりに大げさで面倒そう」というイメージで腰が引けている。

今では多くの飲食店が飛沫防止パーティションを備えてはいる。が、大きさもレイアウトもまちまちだ。それに気にしないといけないのは大きさだけではなく、風向きとの関係だ。

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このあたりを細かく研究して、場合によっては人為的に風を起こすことも含めて、「効果のあるパーティション設置」を、飲食店などに義務付けることはできないのだろうか?もちろんそれに伴う費用支出は政府が負担しないといけないが、店は通常営業できる。無理やり休業に追い込んで、補償金を支払う必要が無いのだから政府の予算としても割安のはずだ。

この根っこのところをテキトーに流しておいて、人流抑制だの県外に移動するなだのという隔靴掻痒みたいな施策しか打てないのはなぜなんだろう・・・?

流行禁句大賞2020

毎年発表される「流行語大賞」に対抗して、「言われたら嫌」な言葉や「誰かを傷つけてしまう」言葉など、2021年には持ち越したくない言葉をみんなで考える「#流行禁句大賞2020」(主催・一般社団法人21世紀学び研究所)が、事前に選ばれた20のフレーズに対して少し前から投票を呼び掛けていた。

今日28日がその発表日で、1位は「なんで鬼滅観てないの?」になったそうだが、これらの言葉を浴びせられたほうは「言葉による暴力」で深く傷ついたに違いないが、果たして言葉を発した側は単なる粗暴犯なんだろうか?

エントリーされていたフレーズを列挙してみると気が付くことがあったので書いてみる。

1)医療従事者の子どもは保育園通わせないで
2)俺は家事も育児もやっている方
3)今日も家にいるの?
4)介護士は休むな
5)こども部屋おじさんヤバい
6)ごめんしばらく帰省しないで
7)コロナにかかってごめんなさい
8)コロナにつき外国人お断り
9)コロナはただの風邪
10)女性はいくらでも嘘をつける
11)スポーツ選手は政治的発言をするな
12)他県のナンバープレート来んな
13)なんで鬼滅観てないの
14)日本には人種差別などない
15)誹謗中傷される方も悪い
16)夜の街は全店営業を停止しろ
17)リモート授業でラッキーだね
18)リモートワークはサボるから禁止
19)レズやゲイが法律で守られたら足立区は滅びる
20)若者がコロナを広げている

まず、コロナ関連のフレーズがやたらと多い。「コロナはただの風邪」という、某大統領のような迷惑発言も混じっているが、コロナに関しては総じて「自粛警察の人たちによる同調圧力系」のフレーズだ。コロナ以外のものについては、同調圧力系(鬼滅など)もあるが、「愚かな思い込み」を真実だと信じて堂々と発言した類いのものが多いようだ。

そして、すべてのフレーズに共通しているのは、発言した側が「自分が多数の側に立っている。自分には味方がたくさんいるはずだ」と思い込んでいるということではないだろうか?言い換えれば、「誰かを傷つけてやろう」という嗜虐的な喜びではなく、自分こそが正義なのだから、悪を懲らしめなければという(愚かで間違った)思い込み。

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また実際に、客観的に見て、そんな人たちが「本当に多数の側」にいることも滅多に無いというのも注目すべき点だ。

以前、「みんなという言葉の毒」でも書いたが、新幹線の車中で回りの迷惑なんか考えずに宴会に興じるサラリーマンの4人連れ。彼らの中では「みんな楽しくやってるんだから俺たちは間違ったことなんかしていない」という心境なんだろうが、そこでの「みんな」は、わずか4人だ。

とにかく多くの人は身の回りの数人が自分と同じ考え方だと「それこそが世界の標準だ」と思い込んでしまうようなのだ。コロナでタチが悪いのは、「身の回りの数人」に加えて、「マスコミ」や「為政者」が、「越境自粛」などという子供が考えてもわかりそうな馬鹿馬鹿しいルールを有難がったりしているものだから、「正義の味方」ぶりに拍車がかかっている。

「流行禁句」には大賛成だが、これが「言葉狩り」になってしまうと、今度は「言葉狩り自粛警察」が活動を始めて「アイツが『鬼滅を観てないの』とか言った~~」と、(鬼滅だけに)鬼の首でも取ったかのようにSNSで糾弾を始めるだけだろう。

わずか数人にしか過ぎない「みんな」が、あたかも「あなた以外の全員」というように使われて同調圧力が始まる。「みんな」とは具体的に誰と誰なのか?屁理屈ではなく、「みんな」という言葉に胡麻化されないことこそが、平和への第一歩ではないだろうか?

どうせ言葉狩りをするのであれば、「みんな」という、安易な同調圧力に直結する単語を日本語から撲滅させるしかないような気がする。

本と煙草と音楽と

タイトルから受けるイメージは、「レコードやCDを聞きながら紫煙をくゆらせ、少し黄ばんだ古書のページをめくる」という、なんともノスタルジックな感じなもののような気がするが、たぶんそれは僕が昭和生まれで、そういう実体験を持っている世代だからなのだと思う。

しかし2020年末の現在、そんなアナログなイメージを持つ人たちはずいぶん減って来てるのではなかろうか。

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電子タバコの普及は著しいものがある。日本全国の統計だと5割弱ということのようだが、東京などの都市部に限れば(体感的だが)半数以上は電子タバコに切り替えているのではないかと思う。席に着くとおしぼりと灰皿が出て来るのが当たり前だったルノアールが、いまや紙巻たばこ禁止だ。

紙巻たばこに比べると電子タバコは「刺激が弱い、喫ってる気がしない」という声があるのも承知しているが、慣れればあまり気にならなくなるもので、むしろ部屋がタバコ臭くなるとか、本や家具がニコチンで汚れるという煙害やたばこ火事が激減したというメリットのほうが大きいとは思う。

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電子書籍・・・kindleをはじめ、アプリやブラウザで本やコミックを読むのが当たり前になってきた。あと、「電子書籍」とは言わないようだが、国会図書館のデジタルアーカイブのように、古地図や古書籍も手軽に検索して画面で見られるようになってきた。

デジタル化することで「場所を取らない」「劣化しない」という大きなメリットがある上、たいていの場合「検索ができる」という利便性も兼ね備えている。

音楽や映画もだいぶ以前から「レコード盤(CD」から「ストリーミング・ダウンロード」という形態に変わってきた。これも書籍と同じく「場所を取らない」「劣化しない」というメリットが大きい。

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しかし。
これが肝心なことなのだが、「もらい煙草」とか「本やCDの貸し借り」という、昔はごく当たり前だった光景が、どんどん難しくなっていると思うのだ。

これは言い換えれば、「ちょっとしたコミュニケーションの機会」が削られているということにほかならないだろうか。タバコを吸うのも一人でどうぞ、本や音楽もダウンロードしたものを他人に送ったりするのは法律違反。

音楽や動画についてはyoutubeという便利なものがあって、誰かに紹介したい曲などがyoutubeにあればURLを送るという手段も無いわけではないが、もちろんyoutube上にあるものに限られる。そして本の場合は誰かに紹介したくても「あなたも買って読んでね」という大原則になるので、ハードルがとても高くなる。

おまけにこのコロナ騒ぎでテレワークが普及してきている。「テレワーク=孤独」と決めつけるのは短絡的とは思うが、独身の男女とかは出会いの機会がかなり減ってしまったのではないのだろうか?

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20年後、「最後の昭和生まれ世代」が現役を退く頃には、「おひとり様が当たり前」という世代が世の中を動かしているのだろうか。

その頃にはもしかすると「喫煙者」自体が稀有な存在になり、「もらい煙草」なんていうのは落語のネタくらいにしかならないのかもしれない。また、「本の貸し借り」はできなくても、youtube的な図書館みたいなものが普及して、意外とコミュニケーションには問題が起きていないのかもしれない。

でも、なんとなく「一人で生きていくことに慣れ過ぎて、周りに気を配ることができない人たち」が激増する恐れもあるのではないかと少し心配ではあるのだ。。。

GOTOキャンペーンとファクターX

TVを観なければいいんだろうけど、つい観てしまうとGOTOキャンペーンをめぐるロクでもない報道や番組が多くて唖然としてしまう。

政府は誰からの圧力なのか知らないが馬鹿の一つ覚えのように「GOTOキャンペーンは絶対に実行する」と繰り返しているいっぽう、都知事をはじめ各自治体の長や、さらに市民へのアンケートでも「時期尚早」という意見が多い。

で、ぼくの考えは「そういった議論や報道そのものが無駄」というもの。

政府がどんなキャンペーンをやろうが、感染対策に自信が無かったり時間やお金に余裕が無い人はキャンペーンを無視すればいいし、それなりに自信と余裕がある人は、感染対策をきちんとやっているという受入れ先に旅行すればよい。それだけの話なのに、なぜこれが大騒ぎになるのかがわからない。

「(感染者が増え始めている)こんな状況で旅行に行けというのか!」という声を何度も耳にしたが、誰も「全員もれなく旅行に行け」なんて言っていないはずだ。どうして政府がキャンペーンをやると、国民全員が旅行に行くことになってしまうのか??

自粛警察騒ぎのときにも強く感じたことだが、日本人は本当に「お上に弱い」とつくづく思う。ロックダウンなんかされなくてもお互いに見張りあって「自粛しない人は非国民だ」という流れを作り出す気持ち悪い国民性。

そしてその流れをさらに煽り続けたのがマスコミ。日々公園やビーチにカメラを向けては「遊んでる親子連れがいますね!」「ビーチで遊んでる若者がいます!」と、まるで犯罪者の犯罪行為を特撮しているかのように報道し続けた。

本当に悪だと思っているのだったら本人たちにきちんと注意すればいいのに、遠くのほうから顔だけはわからないようにこっそり撮影し続ける陰険さ。SNSなどでの匿名誹謗中傷に通じるものがありはしないか?

もちろん同調圧力大好きな国民性にもメリットもあって、「政府が何を言おうが俺のことは俺が決める」という国民性のフランスやアメリカでは、ロックダウンが行われていてもあっという間に感染者が激増してしまった。日本では、政府や都知事が「自粛しましょうね」というだけで、県境を越えて物流を支えているトラックまで勝手に犯罪者認定して石を投げつけるような愚かな狂信者が出てくる始末だ。

山中教授が問題提起されている「ファクターX(日本人に感染者が少ない謎の要因)」は、ぼく自身は個人的に結論が出ている。「お上の言葉を盲信して思考停止したがる国民性」に尽きると思っている。

「お上が外出自粛を呼びかけた」というだけで、まるでそれが至上の命題であるかのように受け止め、自ら自粛警察に着任して他人に同調圧力をかけようとする国民性こそが、今回の感染速度鈍化に寄与したのではないか。

なので、GOTOキャンペーンについても、「自分の選択肢が1つ増えた」と受け止めるのではなく、「お上から旅行を指示された」かのように受け止めて「冷房と暖房を同時にかけるなよ」と右往左往して大騒ぎ。

どうしてそんな国民性なのかは、農耕民族であったこととか、封建時代が長かったとか、一神教でなかったこととか、儒教の影響とかいろいろ想像できるが、ここでは省略。

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「大雨で被災している人たちも大勢いるのにこんなときに旅行なんて不謹慎だ」という人もいる。そう思う人は旅行しなければいい。それを他人に強制しようと同調圧力をかけようとするから話がややこしくなるのだ。

コロナも大雨もなかった時、個人的に、家族の誰かが亡くなったというような人は旅行なんかする気分にはならなかっただろうが、だからといってほかの誰かが旅行するのを咎めたりもしなかっただろう。

「被災している人たちのことを考えろ!」と声高に言っている人たちは、コロナ前に世界中でどれだけの人たちが戦争や天災や疫病や暴力で不幸な亡くなりかたをしていたかは無視するのだろうか?世界のすべての人があまねく幸福になるまでその人は旅行しないのかな?

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GOTOキャンペーンに反対なのか賛成なのかは知らないが、「商業活動を阻害するつもりはない。わざわざ遠くまで旅行しなくても東京の人たちは東京近辺で小旅行を楽しめばいい。近所のホテルに泊まってみるのもいい経験だし(キャンペーンの)補助も出る。首都圏を出ないようにしよう」と、まるで賢い提案のように主張する人もいる。

こんなお馬鹿な意見も無いのではないか?

重要なのは感染者数を急激に増やさないこと、感染対策をすることであって、県境を越えるかどうかはどうでもいいはずだ。東京で医療崩壊して100万人が死ぬのは自業自得だが、他県で1人の感染者も出さなければそれでいいということなのか?

あるいは、県内で同県人が感染しあって患者が増えるのはOKだけど、他県の人からは感染したくないという妙な純血主義なのか??

ほんと、くだらない・・・・

正しい情報と胡散臭い情報

以前の記事にも書いたけども、TVを見ていると依然として胡散臭い情報だらけだ。『トイレットペーパーがなくなるぞ』というような、心ない人の悪質なイタズラがデマとして広まった、というようなものではなく、自ら学識経験者としての誇りに満ちているかたがたが平気で胡散臭い情報を流している。

今回の緊急事態宣言延長にあたって、『専門家会議』は、「実効再生産数が1を下回った(=感染者数は今後減少する)」ともっともらしいことをおっしゃる。もちろん、どうやって算出したかなどという根拠は示さない。

しかし、「感染者数」が減少傾向であれば実効再生産数は1を下回るに決まってるのだ。要するに「減少しているように見える」と言えばよいのに、わざわざ素人を煙に巻くような言い換えをする。

そして、根本的な問題がある。何度も書いたが、「本当に感染者数が増加しているか減少しているかなんてわからない」のだ。とにかく検査数が圧倒的に少ないので、日々の感染者「数」はほぼ検査数に比例している。(5月になったというのに東京では平均して1日300人程度・・東京の人口をいったい何人だと思っているのか・・・)

しかも検体採取数は増えても、検査する技師が足りないうえ、働き方改革なのか何なのか、土日祝日は検査していないようなので週明けの感染者「数」はいつも少ない。4月末に少し感染者「数」が減ったのは、単純に4月末からの連休で、検査者のお休みも増えただけではないのか?

判断の根拠になる数字の精度が貧弱なので、為政者もロクな指示を出せない。苦し紛れに「県境を越えて移動するのは危険」などという、予防とはまるで関係ないことを真顔でおっしゃる。都道府県ごとに何かの競争でもしているのか?『外出自粛』自体には、直接的ではないとしてもそれなりに意味があるだろうが、「県境」を越えた瞬間に何か起きるのか?

そしてその馬鹿馬鹿しい要請を真に受けたヒマな人たちが「県外からの移動を食い止めることこそが問題解決」と勘違いして大騒ぎ。知事自らが県境に立ち、「俺が陣頭に立って敵を食い止める」と言わんばかりの滑稽なパフォーマンスだ。ウイルスという見えない敵が「移動者」という見える敵にすり替わったことが嬉しいのだろうが、見ていて本当に見苦しい。みっともない。

県境で、人々の生活を支えている物流トラックに石を投げてみたり、インフラを支えている技術者や管理者の移動を、まるで敵国からのスパイのように扱うヒマや金があるのだったら、県内の飲食店をきちんと救う努力をすべきだろう。

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そんな鬱々としたニュースばかり目にしていたときに、目が覚めるような素晴らしい情報に巡り合った。僅か数日で再生数は100万を超えるような人気動画なので、ご存じのかたも多いと思うが貼らせてもらおうと思う。

1)マスクは何回まで洗って使えるか?電子顕微鏡で観察してみた結果・・・衝撃の事実が!

2)コロナウイルス飛沫を見る装置を作って布マスクの効果を調べた結果!

いずれも、市岡元気さんの「GENKI LABO」の動画。「専門家」の先生様たちが想像と憶測だけで「不織布マスクは一度使うとフィルター機能が低下するので再利用できない」と断言してきたが、そういった妄言を明快な実験で切り捨てる痛快な動画だった。

こういう「根拠のある」実践的な動画こそ、本当に私たちを救ってくれるような気がする。

今年の秋まで生き延びるために

政府や都が今からどんな宣言を出すとしても、「この秋には」と期待されているアビガンの自由化までは、(ほぼ)安心して感染できるような事態は訪れない。仮に秋までに奇跡が起きて「新規感染確認者数ゼロ」の日が来たとしても、そんな短期間で国民の大半が抗体を持つようになっているわけがないので、海外からウイルスが再侵入してきた時点で元の木阿弥だ。

政府や都が何と言おうとも、3密を避ければ予防できるとか、3日に1度、買い物にしか外出しなければ予防できるというような単純で馬鹿げた話もあり得ない。
逆に、毎日、3密の職場に通勤せざるを得ない場合でも、きちんと予防措置を講じれば予防はできるはず。

迂遠なスローガンに盲従した結果、感染して重症化し、多くの人に迷惑をかけるようなことはなんとしても避けたい。手洗い・うがいもソーシャルディスタンスも迂遠すぎる。とにかくこの秋まで、自分なりに呼吸器を守り(1つ前の段階として目鼻口を守り)、健康に生き延びるための具体的な予防策を考えてみた。

ツールも必要だ。マスク(顔を素手で触らないための有用ツール。そして何より拡散防止)は基本装備、アルコール除菌ティッシュ(or アルコールスプレー)は常に携帯。その他諸々。詳細は下記。

■外出時の予防
1)移動
近距離で好天であれば電車やバスは使わず、自転車を使うこと。電車やバスでは「会話」は無いとは思うが、万一騒いでいる集団に遭遇したりしたらとにかく避ける。新幹線であれば指定席ではなく、自由に移動ができる自由席に限る。飛行機は自粛期間の今なら安全快適だが、通常の混み方になってきたら使わない。

また、ウイルスが付着した座席や吊革などを触らざるを得ないこともあるだろう。パスモが使えなくて券売機を使わざるを得ない場合もあるかもしれない。エレベーターのボタンやドアノブも同様。しかし、触っただけで皮膚感染するようなものでは無いのだ。とにかく意識的に「(汚染された)手で顔を触らないよう」にする。そのためにも布でも良いのでマスクが有用。

2)会議・打合せ
常に予備のマスクを持参し、万一相手がマスク無しだった場合には即進呈して着用してもらうこと。打合せ中に顔を触らないのは大前提。特に出されたコーヒーなどの食器を触った後。

3)外食
入店時にまず除菌(迷惑かけないため)。外食するのは加熱調理したものに限ること(ウイルスは70℃もあれば死滅する)。箸やフォークなどの手に触れる食器は、アルコール除菌ティッシュで拭ってから使うこと。精算時に現金授受などがある場合は、授受後に手を除菌。

4)会食・飲み会
できれば避ける。飲食している間は「マスクをはずさないといけない」というのが最大のネック。どうしても避けられない場合は「マスクをはずしている間は喋らない/喋らせない」ように気を付けるしかない。

5)喫煙
外出時の喫煙は我慢する。手指と口腔がもっとも近接するという危険なシチュエーション。どうしても我慢できない場合はまず手を念入りに除菌してから喫煙すること。

6)買い物
入店時にまず除菌(迷惑かけないため)。商品を手に取り、精算が終わった時点で手を除菌。

7)その他、自分の持ち物でないものに触れた際は適宜除菌。

・・・とにかくアルコール除菌ティッシュか小さなアルコールスプレーは肌身離さず持ち歩くこと。
アルコール除菌ティッシュが異様に入手困難なので、通常のティッシュにスプレーでアルコール噴霧するしかないかも。

■帰宅時の予防

ウイルスまみれで帰宅したと想像してみる。

ドアを閉めたらいの一番にアルコールジェルで手を除菌。除菌が済んだらリセッシュを手に取って「ドアノブ」と「衣服」を除菌。
着替えが必要な場合は、除菌後に着替えること。この時点ではまだマスク装着したまま。

マスクは向こう半年間を残り60枚でやり過ごすために、再利用が前提。

マスクをはずしたらフックにぶら下げてクエン酸除菌。しばらく放置したのち、超音波洗浄器で「ティーツリーの香り付き」で洗浄。洗浄が終わったら陰干し。

超音波洗浄はあまり素材を傷めないようだ。これについてはいずれ詳細も書いてみたい。

TV観ているともどかしくてストレスが溜まる

TVをつけると、どのチャンネルもコロナ一色なのは仕方が無いとしても・・・

「なんでそんなこと言うかな?」と思えることが多くてストレスが溜まるので書いて発散してみようかと。

(1)感染者「数」
諮問委員会の尾身会長、たぶん相当に高名なドクターなんだろうと想像するけれども、そのかたにして『感染者が急増している』『5日で感染者が倍増した』などと言う。

どうして分母(検査数とか潜在感染者数とか)を無視するんだろう?検査数が増えれば検知できる人数も増えるのは当たり前ではないのか?あるいは「潜在感染者数10万人のうち、やっと5千人を特定できた」とどうして考えないのだろう?

もしかして、検査対象になっていない圧倒的大多数の中には感染者がひとりもいないと信じているのだろうか?

(2)最低7割目標8割(の接触減少)
もはや突っ込みどころが多過ぎて開いた口がふさがらない。

北海道大学のなんとかいう研究者のシミュレーションで「接触を8割減らすことができれば、感染は急速に収束する」という衝撃的な折れ線グラフを鵜呑みにして喜んだ政治家が飛びついた。

シミュレーションなのだから、前提にしたパラメータがいっぱいあるはず。パラメータ次第で結果はどのようにでも変わるのに、それらを全く開示せずに結果だけ示すというのはいかがなものか??研究者としてこのように世間に流布されて良心の咎めは無いのだろうか?あるいは単に「これで有名になった」と喜んでいる愚か者なのか??

そもそも「現実世界でどうやったら8割減らせるか」が多分誰にもわからない。
「毎日規則正しく10人の人と1時間ずつ会話していた人が8割減らして2人としか会話しない」という、中学校の物理のテストによくある「摩擦と空気抵抗は無いものと仮定する」というのと同じ計算をしてるだけではないのか!

しかも「最低7割目標8割」などという、わずか10%の差を意識するような精密な測定を一体どうやってできるというのだ?言ってる本人も馬鹿馬鹿しいと気が付かないのだろうか??

そして根本的には「接触を減らす」のは、感染「機会」を減らしているだけで、予防とは関係ないということだ。仮に10人会ってた人が2人に絞れたとして、その2人と飛沫を飛ばしあって会話すればアウトだろう。また、会わなくした8人の「所持品を触って、その手で自分の顔を触れば」それだけでもアウトのはず。

「直接的な予防」に触れることなく、机上の空論に空論を重ねているとしか思えない。
大丈夫かニッポン???

(3)「時間短縮」営業・・・
テレワークの理由はわかる。営業自粛要請もわかる。しかし、「営業を認めておいて時間短縮」の意味がまったくわからない。

もちろん、「サラリーマン社員」の立場で考えれば、10時間勤務よりも6時間勤務のほうが対人接触機会が減るということにはなるのだろうが、世の中のすべての職業人が内勤の事務職だとでも思っているのだろうか?
戸越銀座商店街のニュースが流れていたが、どのお店も時短営業をするものだから、「店が開いてるうちに買い物を済ませなくちゃ!」という客が殺到して、いつもより混んでるようだ。何をやってるんだか・・・

必要なのは時短では無く「分散」ではないのか?内勤だろうが客商売だろうが、これまで10人が一斉に朝9時から18時まで働いていたのであれば、常時出勤人数を7人にして朝6時から夜10時まで「交替で」薄く長く働くべきだろう。
何のために電車やバスが早朝から深夜まで通常営業しているのか?
早朝夜間の乗客が激減して、日中が時短勤務の客で混雑しては意味ないのではないか?

(4)「有識者のお言葉」を鵜呑みにするマスコミ
よくわからない要請をさらにわからなくするのがマスコミだ。ロックダウンとかオーバーシュートとかいうセンセーショナルな単語が大好きで、感染者数に一喜一憂して大騒ぎすることが視聴率に結びつきやすいのかもしれないが、情けない番組が多過ぎる。ホントに大丈夫かなニッポン・・

新型コロナについて思うこと(情報操作)

(今日は4月3日)

先日、新型コロナについて「何か変だぞ」と思ったことを2つ立て続けに書いたけれど、考えてみればぼくですら考え至る程度のことを、政府がわかっていないとは思えない。というか、わかっている人はそこらじゅうにゴロゴロいると考えるべきだろう。

それなのに、「具体的な予防方法」を説かず、「外出自粛」みたいな、単に感染機会を減らすことしか呼びかけないのは何故なのか。予防方法を繰り返し報道すれば良いのに、感染者数とか海外の衝撃映像ばかりが繰り返し報道されるのは何故なのか。

そのヒントが、総理が布マスクを全戸配布すると宣言した際の「国民に安心感を与えたい」という言葉に集約されているような気がする。(「予防できる」ではなく、「安心感を与える」という点がポイント)

マスクに一定の効果があることは明らかなのに、「マスク無意味論」が3月頃まではずっと幅を利かせていた。WHOがそれに口添えしたかのように「マスク無意味」と言ったのも追い風になったのだろう。
それが「全戸配布」が決まった途端、あんな小さなガーゼマスクですら「一定の意味がある」という有識者?が続出し始めた。

・・・ということは?

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振り返ってみれば、マスク無意味論が幅を利かせていたときですら、マスクの買い占めや高値転売が後を絶たなかった。これが「マスク必須」などと当時から報道されていたら、買い占め騒動は収拾がつかなくなったのではなかろうか。逆に、「入手できなかった人たち」が過激な暴動に走ったかもしれない。

『国民に安心を与える』という言葉は本当に曲者だと思う。

オリパラ延期もその1つだろう。これはマクロ編でも書いたが、どう考えても来年7月までに世界中のコロナが終息しているという確証なんか無いのに、「いつになるかわかりません、状況次第です」では言われたほうは不安だらけなので、嘘とわかっていても「2021年7月開催決定」と言ってくれたほうが安心なのだろう。

外出自粛という、直接的な予防とはほど遠い、単に「感染『機会』を少し減らす」だけの要請が繰り返されるのも「安心感」レトリックの1つかもしれない。
飲食業やエンタメ業の人にとっては「外出自粛イコール生活不安」以外の何者でもないが、全世代全職業を対象にした要請となると、「幼児にでもわかる要請、過剰なインパクトのある要請」であるべきと考えたのだろう。

1月に90万人もの中国人旅行者が遊んでいた日本で、感染が広がらなかったわけがない。現に、屋形船クラスターは1月中旬の出来事だったはずだ。本日現在で「発覚している」感染者数は3000人程度だが、不顕性感染者は1ケタ違っていてもおかしくない。しかし誰もそんなことを大きな声で報道したりしない。

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真実を伝えることが、イコール安心感を与えることではない。東日本大震災のとき、多くの人が津波に呑みこまれたが、死体や遺体が映りこんでいる映像がまったく流れなかったのと似てはいまいか。

「真実をまじめに正確に伝えても、わかってもらえない、地味なのでそもそも報道してもらえない」
「衝撃的な真実を正面から伝えるとパニックが起きる」

・・・こんなことを前提に要請や報道がなされているから、TVを観ていてイライラすることが多いのかもしれない。

日本人の民度は高くなったらしい。1964の東京五輪の頃は、ゴミのポイ捨てや歩きたばこ、立小便までが日常の風景だったらしい。それが今や、新幹線から降りるときや、スタジアムでの観戦から帰るときには必ずゴミを持ち帰るような国民になったのだから。

しかし、どんな集団でも必ず1%~3%は「例外」がいるように、国民全体の民度がどれだけ上がっても、一定数はトイレットペーパーの買い占めに走る。無料配布される布マスクを売ろうとする輩も出るだろう。

そんな1%の連中が「ロックダウン」みたいなインパクトの強い言葉を耳にすると、一体どれほどの買い占めや転売に走るか知れたものでは無い。

なので、行政のほうも、1億2千万人のコミュニティを「安心させる」ための施策しか打てないのだろう。悲しい真実だ。

新型コロナについて思うこと(マクロ編)

今度は自分自身についてではなく、日本全体について妄想を広げてみた。

前提にしているファクトは次のようなもの

1)コロナウイルスの感染力はインフルエンザウイルスと同程度
2)一度感染しても免疫ができず、回復後でも何度も感染する
3)感染後の致死率は1%程度
  →報道されている致死率は日本では4%弱だが、何しろ、検査されていない不顕性感染者も膨大な数だろうから、1%程度としておく。
4)ワクチンも特効薬もいずれは開発されるか再発見されるだろうが、未定

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■長期戦は必至
「インフルエンザ並みに感染し」「なんどでも感染する」ということからすれば、短期間で完全撲滅できるようなものでないのは明らかだ。山中先生がブログに書いておられるとおり、「長期戦を見越した構え、長い付き合い」が必要になるのは間違いない。

中国が「ウイルスとの戦いに勝利した」と誇っているようだが、「勝利」の定義については精査が必要だと思う。中国国内でウイルスが消滅したわけではないのだから。むしろ、「一度勝利したからには新規感染者は存在を認めない」という恐ろしい世界になっていなければいいがと心配になってくるくらいだ。

■何を勝利とするのか
勝利の状態というのは、当たり前だが、「人々が安定した日常生活を送ることができる」状態ということだ。

インフルエンザのタミフルのような特効薬が開発されて、死亡率が大幅に小さくなれば人々はかなり安心して感染することができるわけだが、それは医療や医科学の外野にいる私のような素人にとってはあまりにも他力本願な、単なる楽観的な願望だ。

なので、最悪のケースとして「いつまでたっても特効薬もワクチンも開発されない」状態で「安定した日常生活を送る」というのはどういうことなのか、を考えてみる。

■最悪のケースの想定
昔、プロジェクトマネジメントを専門にやっていた頃に刷り込まれたのが「計画は悲観的に、実行は楽観的に」というポリシーだ。特に障害が発生したときなどは「最悪のケース」を想定して動くと、不思議と最悪にまでは至らない。ところが「すぐに直る。ダイジョウブダイジョウブ」などと楽観的に構えていると、事態はどんどんと「想定外」の方向へと進んでいき、取り返しのつかないような地点まで落下していく。

そういう観点で国や都からの要請を眺めてみると、一見厳しそうに見えて「楽観的すぎるのでは?」と思えて仕方が無いのだ。最たるものは「今週の週末は外出を控えて!」というようなものだ。なんだか、「今週の週末さえじっとしていれば事態はうまくいってロックダウンも招かない」と言っているようにも聞こえるのだが。

オリンピックの「1年延期」なんかも政治的・経済的な妥協の産物としか思えない。もちろん、「何も決断できないリーダー」よりも、「何かはっきりしたことを言ってくれるリーダー」のほうが希望を託せるのかもしれないが、それにしても今の時点では説得力がまったく無い。「1年後にはコロナは収束or終息してるに決まってるから」という楽観的予想を大前提とした博打ではないのだろうか・・???

そんな博打ではなく、「最悪のシナリオでもこれこれなので開催は可能」というのでなければ本当の説得力とは言えないはず。

■最悪のケースとは
完全に素人の計算なので、1つの思い付きくらいの数字ではあるが、「インフルエンザと同様に毎年1000万人が感染し、特効薬が無いので毎年10万人(1%)が死亡する状態がずっと続く」というのが最悪のケースではないだろうか。

そんな状態になると、まず問題になるのは医療のキャパシティだ。日本全国で受入可能なベッド数はたかだか数千、人工呼吸器の空き数も1万強程度らしい。万単位での重症者をカバーできるわけがない。

だとすると、補正予算で何をすべきかは明確だ。たとえ無駄になる可能性があっても、医療器具と医療施設を大急ぎで増やすべきではないのか。ついでにいえばマスクも。

マスクの増産は経産省から全国の関連企業に呼びかけているらしいが、人工呼吸器など、喫緊の需要がありそうな医療機器の増産も急務だ。経営不振の病院を国有化して感染症専門病院に仕立て上げるくらいの緊急措置が取れないものか。

■ニューディール政策を
マスコミはセンセーショナルな話題が大好きなので、全国各地で「コロナ被害」に遭っている企業を毎日事細かに報じてくれる。

実態がどの程度なのかはよくわからないが、契約を切られた非正規職員やアルバイト要員が急増しているのは間違いなさそうだ。失業率も確実にUPするということなので、正社員が職を失ったり勤務先を失ったりしているケースも多いのだろう。

「しかし」景気次第で職を失うということは、景気次第で職を得ることもできるということだ。なので一生を悲観することはない。景気が回復するまでの間、マスクの増産や医療機器の増産、より一層ケアの必要な高齢者の介護という「突然生じた求職」に応じてもらうことはできないのだろうか?

とにかく、毎年10万人の重症患者を収容・治療できる施設と設備があれば、安心とはいえないものの、医療崩壊は免れるのではなかろうか・・・

■自粛の無意味さ
あくまでも個人的な見解だが、「3密を避けよう」みたいな施策は本当に馬鹿馬鹿しいと思う。

たとえが適当ではないかもしれないが、飲酒運転による交通事故が急増している対策に「交通信号を守りましょう」と言っているような感じがする。

もちろん、信号は守るに越したことは無いという意味で、3密も避けるに越したことは無いとは思うが、直接的な対策になっていないのは明らかではなかろうか?

しかも、特効薬がまだ開発されず、経路不明の感染者が急増している現状で「4月12日まで」みたいな期限をつけることにいったい何の根拠があるのか・・・

今の状況だと、自粛を止めた瞬間に感染拡大し、また自粛を始めるという、バカバカしい無限ループで経済の大混乱が継続する未来しか見えない・・・

「マクロな話」なので、どうしても他力本願な話になってしまうが、年間10万人が死亡することを大前提とした積極的な政策を是非望みたい。。