ポンペイの思い出(1)

ポンペイというと、おおかたの人は古代ローマ、ヴェスヴィオス火山の噴火で滅びた町を思い浮かべるかもしれない。しかしもう1つ、日本の近くに有名なポンペイがあるのだ。場所はミクロネシア連邦。この国を構成する大きな4つの地域、コスラエ、チューク、ヤップと並んで、首都パリキールのある島がポンペイ島だ。グアムから飛行機で2時間強。太平洋戦争当時は日本の統治下にあり、当時の呼称「ポナペ」で通じる人もいるかもしれない。

池澤夏樹の作品に「南の島のティオ」という、美しい短編童話集がある。ここでは詳しくは触れないが、「南の島ならではの不思議」と当たり前のように共存しながら現代生活を送っている男の子の話だ。感動的な話や涙を誘うような話ではないが、読後に心の芯が少し温まるという効果のある本でもある。で、このティオの住んでいる島がポンペイなのだ。本の中では実名は登場しないが、冒頭に島の地図が描かれており、どうみてもポンペイそのもの。話の中でも「ああ、あそこのことだな」という場所が色々登場する。

で、以下は数年前にポンペイを訪れたときの訪問記。目的はティオに会うため・・・ではなく、この島にある有名な「ナン・マドール(あるいはナン・マトル)」という遺跡。

有名な遺跡(のはず)だったので、島に行ってしまえば何とかなるだろうと思っていたのが間違いだった。ナンマドール行きの公共交通機関や定期ツアーなどは存在しなかったのだ。レンタカーを借りていくにも、現地は私有地の中なので勝手に入り込むと面倒なことになるらしい。

・・・・困った。これでは何のためにやってきたのかわからない。泊まっていた小さなホテルの主人に相談してみると、島で一番大きなホテルのほうに相談すれば何とかなるかもしれないとのことで連絡を取ってくれた。待つこと半日。「なんとかなったみたいだよ」と呼ばれたので行ってみると、なんと、そのとき島に滞在していた観光客たちに呼びかけて即席のガイドツアーを組んでくれたのだった。

参加者は国籍ランダムで10名弱。日本人と思われるのはぼくのほか、文科省から派遣されてきたという変わった人が約1名。そしてツアー・コンダクターというか、一行のリーダー兼船頭!は日本人の女性。聞くと、青年協力隊の仕事で島に来ているのだが、急きょアルバイトを頼まれたとのこと。(時々こういうことがあるらしい)。陸路ではやはり私有地の関係があって現地に行きにくいので、大きいほうのホテルの船着き場から、海路モーターボートでの出発だ。もちろん豪華なクルーザーなどではなく、一行は波しぶきでずぶ濡れになりながら進んだ。

・・・到着して驚いた。石造遺跡だとは聞いていたのだが、とにかくスケールがでかい。海中にせり出した巨大なヘリポートがいくつもあり、それらの上に遺跡が乗っている感じ。観光地としての整備はまったくなされていなかったが、迫力は十分だ。11世紀頃に存在した王朝の建物跡ということなのだが、具体的な建造方法などはよくわかっていないらしい。ヘリポート(と一応呼んでおく)とヘリポートの間の水路では地元のおばさんが洗濯なんかしており、のどかだなと思っていたら、つかつかとこちらに近づいてきて全員から『入場料』を徴収しようとしたのにも少し驚いた。

まあ小銭程度の入場料なのでみんなおとなしく払っていたが、くだんの文科省氏、おもむろに白紙の領収証とボールペンを取り出したかと思うと金額を記入し、おばさんに向かって「ここにサインしてね」と。おおお。こんなところでまで経費精算の準備とは。これにも少し驚いた。

地元の伝説によれば石が勝手に空を飛んで出来上がったということになっているのだが、そう考えてしまうのも無理は無いと思えるような巨大で精密な遺跡だった。ムー大陸やアトランティス大陸の名残ではないかという人もいるらしい。ポンペイで印象深かったことはほかにも多いのだが、視覚的なインパクトはここが一番。