時間通貨とベーシックインカム

NHKスペシャルで仮想通貨の特集があり、変わり種として?時間通貨というものが紹介されていた。

自分で調べたことも交えて書くと、2014年にスタートした「Time Ticket」という、何らかのスキルを持っている人たちが30分単位で自分の時間を売買(というか交換)できるという仕組みが皮切りになって、その後、「TimeBank」という、自分の時間価値を人気銘柄のように高値で取引できる仕組みとか、日本でも「ココナラ」という、自分のスキルや能力を切り売りできる仕組みが広がりつつあるようだ。

TimeTicketは、どうやら「すべての人の時間価値はほぼ平等」(たとえば、英語を教える代わりに料理を教えて、という感じ)という大前提のように思えるので、適用できる範囲に限界があるような気もするが、TimeBankとかココナラは、いわば自分の能力を何らかのかたちでマネタイズできる仕組みなので、「ちょっとしたアルバイト」感覚で広がっていくような気もする。配車サービスのUberなんかもある意味その仲間かも。

人によって1分の価値は異なるか?もちろん異なるに決まっている。なんらかの形で金額換算すれば、1分10円の人もいれば1分100万円の人もいるかもしれない。生産性というある程度客観的な評価も結構難しいし、美しさや快適さといった主観的な評価に至ってはもっとばらつきがあるに決まってるのだから、「人によって時間価値が異なる」のは、当然のこととして受け入れやすい考え方だと思う。イチローに野球を教わるのと、中学校の野球部で野球経験があるだけの人に野球を教わるのが等価値であるわけがない。

いっぽう、給与や賃金、労務費や作業費の見積などは、個人の個性や能力をかなり丸めて「一律いくら」で計算してしまっていることも多い。こちらを基準に考えると「時間の交換」はできなくもないのかな、という気もして来る。英語を教えるのも料理を教えるのも、どちらも時給換算したら2千円くらいでしょ?という感じか。

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・・・というような、現行の「時間通貨」の効果や是非について考えたいのではなく、「TimeTicket」の発想の原点、というか、「時間価値は平等」という考え方がとても面白いと思ったのだ。

ヒトが生まれた瞬間に、すべてのヒトに平等に与えられるものが2つあると思う。ひとつは太陽光や空気などの地球的規模での自然環境。もう1つが「寿命」という数十年の時間。もちろん、生まれつき難病の人もいるし、誰にとっても数十年の時間は「保証」されたものではないが、それでも大雑把には、生まれたばかりの赤ちゃんには、今後数十年の時間が与えられたと仮定しよう。

この「数十年の時間」の一部を国が買い上げてみてはどうだろうと考えた。すべての人は一定期間、公共の仕事に従事する義務を負う。「公共の仕事」の中に、介護や医療なども含めれば、国は財政支出を劇的に削減できるはずだ。日本の人口を1.2億人、平均寿命を80年として、そのうち2年間を「公務員」として働く義務を負うとすれば、常時300万人の公務員労働力を確保できる計算だ。

公務員といっても、役所の中で事務計算をするだけではない。国がコントロールして、その人の個性や能力を見ながら「労働力が手薄」と思われる分野の仕事に派遣する仕組み。医療や介護が筆頭だろうが、建設業や林業やITなど、毎年分野を見直していくことである種の社会主義経済のようなものが実現できる。

特に介護分野に大量の労働力が投入されることで、高齢者がいちいち医療機関にお世話にならなくても済むようになれば、莫大な医療費削減にもつながるはずだ。

そして国は浮いたお金で「ベーシック・インカム」(以下BI)を全国民に提供する。BIの考え方は色々あるだろうが、ぼくの考えるBIは、現金の支給ではなくあくまでも現物支給だ。そして現物支給といってもミールクーポンのような闇で売買されてしまうようなものではいけない。目的は「貧困の撲滅と教育・医療・介護機会の均等な授与」だ。

赤ちゃんに寿命が自動付与されたとしても、貧困が理由でその子が不幸になってしまう可能性もある。また、治療すれば治癒する病気で命を落としたり、貧困が理由で教育を受けられなかったために、能力を開花できずに社会貢献できなければ社会にとっても不幸だ。能力のある老人がケアを受けられずに社会貢献できない状況というのも同じ。

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衣食住や教育医療介護をどうやって無料で実現するかをちょっと具体的に妄想してみる。ポイントは「現物支給」であることと、「最低限の」保証であるということだ。

まず食は各自治体に町内単位くらいで「食堂」を設け、本人が直接「料理」をもらえる仕組みにしてはどうだろうか。衣類に関しては例えば人民服のような画一的なデザインにしてしまえば、積極的なニーズも無いだろうし、妙な売買も無くなるはず。住に関しては老朽化した公的住宅や放置された空家などを利用した「快適とは到底言えないが雨露は充分しのげる」ものを提供。

教育は義務教育期間はもちろん無料。医療や介護費用は「収入に応じて」負担率を決める。
エネルギー(水道光熱費だけでなく電話やネット利用料も含めて)については、基本は現在と同じ出来高請求だが、家族の人数に応じて「無料枠」を設ける。最低限の利用に留めれば原則無料になる仕組み。

など。

要するに、「生きてはいけるが、こんな生活をいつまでも続けるのは嫌だ」と思えるところがポイントだ。

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『BIが充実したら、誰も無理して働かなくなるのでは?』『結果として国力が衰えるのでは?』という当然の疑問もあるだろう。

しかし、人は競争が好きなのだ。BIだけでは「生理的欲求」「安全の欲求」は満たされても、それ以上の欲求を満たすのは困難だ。

とにかく「何かやろう」と思うと、どんなに些細なことでもお金がかかる。カラオケに行くにも飲みに行くにも旅行に行くにも、BIだけではどうしようもない。「普通の生活」をしようとするだけでも、今と同じように働かないといけないはずだ。

もちろん中には「貧乏でもいいから、一生詩を書いて暮らしたい」というような人もいるかもしれない。それはそれでいいと思うのだ。詩人に限らず、アーティストと言われる人たちは今でもいきなり売れるわけではないだろう。アーティストを目指した多くの人は「生活優先」で挫折していったのではないだろうか。

それがBIによって「最低限の生活が保障される」のであれば、自分のやりたいことをとことん追求でき、やがては芸術大国になれるかもしれない、などとも思った(笑)。