GOTOキャンペーンとファクターX

TVを観なければいいんだろうけど、つい観てしまうとGOTOキャンペーンをめぐるロクでもない報道や番組が多くて唖然としてしまう。

政府は誰からの圧力なのか知らないが馬鹿の一つ覚えのように「GOTOキャンペーンは絶対に実行する」と繰り返しているいっぽう、都知事をはじめ各自治体の長や、さらに市民へのアンケートでも「時期尚早」という意見が多い。

で、ぼくの考えは「そういった議論や報道そのものが無駄」というもの。

政府がどんなキャンペーンをやろうが、感染対策に自信が無かったり時間やお金に余裕が無い人はキャンペーンを無視すればいいし、それなりに自信と余裕がある人は、感染対策をきちんとやっているという受入れ先に旅行すればよい。それだけの話なのに、なぜこれが大騒ぎになるのかがわからない。

「(感染者が増え始めている)こんな状況で旅行に行けというのか!」という声を何度も耳にしたが、誰も「全員もれなく旅行に行け」なんて言っていないはずだ。どうして政府がキャンペーンをやると、国民全員が旅行に行くことになってしまうのか??

自粛警察騒ぎのときにも強く感じたことだが、日本人は本当に「お上に弱い」とつくづく思う。ロックダウンなんかされなくてもお互いに見張りあって「自粛しない人は非国民だ」という流れを作り出す気持ち悪い国民性。

そしてその流れをさらに煽り続けたのがマスコミ。日々公園やビーチにカメラを向けては「遊んでる親子連れがいますね!」「ビーチで遊んでる若者がいます!」と、まるで犯罪者の犯罪行為を特撮しているかのように報道し続けた。

本当に悪だと思っているのだったら本人たちにきちんと注意すればいいのに、遠くのほうから顔だけはわからないようにこっそり撮影し続ける陰険さ。SNSなどでの匿名誹謗中傷に通じるものがありはしないか?

もちろん同調圧力大好きな国民性にもメリットもあって、「政府が何を言おうが俺のことは俺が決める」という国民性のフランスやアメリカでは、ロックダウンが行われていてもあっという間に感染者が激増してしまった。日本では、政府や都知事が「自粛しましょうね」というだけで、県境を越えて物流を支えているトラックまで勝手に犯罪者認定して石を投げつけるような愚かな狂信者が出てくる始末だ。

山中教授が問題提起されている「ファクターX(日本人に感染者が少ない謎の要因)」は、ぼく自身は個人的に結論が出ている。「お上の言葉を盲信して思考停止したがる国民性」に尽きると思っている。

「お上が外出自粛を呼びかけた」というだけで、まるでそれが至上の命題であるかのように受け止め、自ら自粛警察に着任して他人に同調圧力をかけようとする国民性こそが、今回の感染速度鈍化に寄与したのではないか。

なので、GOTOキャンペーンについても、「自分の選択肢が1つ増えた」と受け止めるのではなく、「お上から旅行を指示された」かのように受け止めて「冷房と暖房を同時にかけるなよ」と右往左往して大騒ぎ。

どうしてそんな国民性なのかは、農耕民族であったこととか、封建時代が長かったとか、一神教でなかったこととか、儒教の影響とかいろいろ想像できるが、ここでは省略。

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「大雨で被災している人たちも大勢いるのにこんなときに旅行なんて不謹慎だ」という人もいる。そう思う人は旅行しなければいい。それを他人に強制しようと同調圧力をかけようとするから話がややこしくなるのだ。

コロナも大雨もなかった時、個人的に、家族の誰かが亡くなったというような人は旅行なんかする気分にはならなかっただろうが、だからといってほかの誰かが旅行するのを咎めたりもしなかっただろう。

「被災している人たちのことを考えろ!」と声高に言っている人たちは、コロナ前に世界中でどれだけの人たちが戦争や天災や疫病や暴力で不幸な亡くなりかたをしていたかは無視するのだろうか?世界のすべての人があまねく幸福になるまでその人は旅行しないのかな?

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GOTOキャンペーンに反対なのか賛成なのかは知らないが、「商業活動を阻害するつもりはない。わざわざ遠くまで旅行しなくても東京の人たちは東京近辺で小旅行を楽しめばいい。近所のホテルに泊まってみるのもいい経験だし(キャンペーンの)補助も出る。首都圏を出ないようにしよう」と、まるで賢い提案のように主張する人もいる。

こんなお馬鹿な意見も無いのではないか?

重要なのは感染者数を急激に増やさないこと、感染対策をすることであって、県境を越えるかどうかはどうでもいいはずだ。東京で医療崩壊して100万人が死ぬのは自業自得だが、他県で1人の感染者も出さなければそれでいいということなのか?

あるいは、県内で同県人が感染しあって患者が増えるのはOKだけど、他県の人からは感染したくないという妙な純血主義なのか??

ほんと、くだらない・・・・